知性がない

なけなしの知性で生き延びていこうな

友達が「スウィングバイ」という映画を撮った

友達が「スウィングバイ」という映画を撮った。*1

まず予告を見てくれ。

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あらすじ

どんな話かというと、まず似てない双子が出てくる。街、海辺、人、肉まん、トカゲ、トカゲは冬眠している、そして写真。主人公のまきは写真が好きだが、人を撮るのが怖い。双子の姉のゆいの元彼松田は音信不通で、ある日まきは姉に誘われて家まで様子を見に行く。その時は居なかったが、まきは何度も様子を見に行ってしまう。そしてばったり家の前で松田と鉢合わせてしまう。その時の会話の気まずいかんじがほんとすごくいい感じで、あーーー(このあーーは他人がやっちまったのを見て自分もあーーと思うあのあーーーってやつ)となるのが良い。会話がうまくいかない感じがいいかんじにリアルだ。

その後色々あって、まきと松田はわりと仲良くなる。けれどまきの写真はうまくいかないし彼氏には振られるし散々で、それでも街は相変わらずきれいで人とだって分かり合えない。分かり合えないけれど人は優しい、けど優しいからって救われるわけではない、人は違っている、せめて一緒に肉まんを食べる。そういう映画。

徳のある人間が出会って話すということ

人が何かをまたできるようになるということには、端から見たら自然に治ったように見えても、けっこう間にいろいろあるもので、スペイン人の話を聞いたりトカゲが冬眠してたり、知らん間に心配されまくっていたりする。この映画の主要登場人物三人はみなそれぞれ誠実で、悩んだ末にそういう生き方を選びそういう人間になっている。

まきは悩むし、ゆいは行動するし、松田は出家したい。それで仲良くなったりぶつかりあったりするんだけど、なんかこう、ニーチェなんですよ。ニーチェはあらゆる苦しみは徳のぶつかり合いから起こると言っている。徳っていうのは取り柄のことで、馬の徳は走ること。人間の徳は理性。みんなそれぞれ善いんだよ。それぞれの徳を持っている。だからこそ、ぶつかり合ったり悩んだりする。

そういうのがちゃんと描けていて、ラストシーンの双子の様子とかすごく良くて、ようやく二人の視線が合うんだけど、それで何かが救われるというか。

まあ60分しか無いしいまのところ無料で観られるので観ると!!いいよ!!!

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*1:私は監督兼脚本兼主役の小林とグダグダしながらタイトルを考えたりロケ地を探したりカメラを持たせてもらったりしました

短歌の題詠のネタを考えてくれるbotを作った

短歌は57577の方で、お題にしたがって短歌をつくることを題詠という。

題は漢字の場合もあるけれど、モチーフや何かの縛り(オノマトペを入れる、など)の場合もある。 今回は漢字だけが出てくる。

動機

  • javascriptで何か作りたかった
  • ので自分の作れる範囲で面白いものを考えた
  • 短歌の題を考えてくれるchatbotとか楽しそうだし何かに使えそう

できたもの

これです https://etahapi.github.io/daiei/

題詠のネタ

しくみ

  • jade + sass + js をgulpに食わせてる。この仕組みは前にゲルゲが用意してくれたものを流用してる
  • 中身はよくあるおみくじと、よくあるchatbotを組み合わせた感じ
  • おみくじの中身は常用漢字表
  • 選出基準はひみつ(どうしても気になる人はソース読んで)

考察

  • 題の選出基準はかなり適当だけど、ひとが勝手に題同士の近さや遠さを見出してくれてるので、人間は良い存在だと思った
  • chatbotは押したあとわざと長めに間をとるとそれっぽい
  • 中身おみくじでも見た目つくるとそれっぽい!!!

これからやりたい

  • 近いやつを押したとき、たまに本当にめちゃくちゃ近いやつが出るようにしたい
  • 選んだ題からおすすめの歌集を出してくれたりしてほしい

コードはgithubに上げてあります

GitHub - etahapi/daiei: 題を考えてくれる

鈴を産むひばり

鈴を産むひばり

どうでもいい話しかしたくない

本当にどうでもいい話しかしたくない。

話というのは大体二種類あって、人に話しやすい話と話しづらい話がある。このどうでもいい話というのはとても話しづらい話のことだ。といっても話しづらい話というのは好きな人の話とかエグい性癖の話とかではなく(むしろこれは大いにネタになる話しやすい話だ)、むしろどうでもよすぎて終わりがなくて、聞く側も困ってしまうような話だ。

どうでもいい話がしたい

季節の変わり目はいつもそうなのだけど、なんでもやたら綺麗に見えてしまって困るときがある。 今日見たコンクリ壁に蔦が這わせてあって緑の壁みたいにしていたのがかっこよかったんだけど、通り過ぎるときによく見たら養生テープで蔦が一本一本壁に張り付けてあったとか、工事で職場の外階段に出られなかったんだけど、それで工事のおっちゃんが外階段へのドアにメモを貼っていて、べつにきれいな字でもなかったんだけど、出ないでくださいの出という字だけがやたら大きくなっていたりとか、そういうオチなんてないけどなんとはない良さを検出した話の方が、これこれこうしたら物が売れたとか、成功したとか、悲しいとか嬉しいとかそういう結果がある話よりずっとヤバイし、そういうどうでもいいような話しかしたくないような気になっている。

文学も別にドラマチックでなくていい。ネタバレされててもいい。ネタバレが意味をなさない部分が一番いい。音楽なら平気で同じ曲何度も聞くし、そのたびに同じ歌詞で同じことが起こるわけだけど、だからといってネタバレしたからもう聞かないとかはないし。文でもそんな感じだ。

山の音 (新潮文庫)

山の音 (新潮文庫)

川端康成の山の音を読んだのだけど、それも結果やオチがないような話だから良かった。その本の中では、決定的な瞬間には主人公の老人は関われず、あとで終わってしまったような話ばかり聞く。関わったら関わったでろくな目には遭わず、老人になってさえそういうことは上手くやれない。そういう話なのだが描写がめちゃくちゃ良くて、仔犬がコロコロ転がっているあたりの描写や庭の木の話だけでも延々と読んでいられて、すごい。文豪だけあってそこらへんはよくわかっているのかもしれない。結果やオチのある話は確かに面白いんだけど、そうじゃない話にも面白さはちゃんとある。

どうでもいい話の速度

帰りの地下鉄の駅で、目の前でドアを閉めて電車が出ていったのだけど、そのあとをビニール袋が吸い込まれてついて行った。このときめっちゃヤバイな!風情だな!と思ったんだけど、この共感されなさそうだけどわかってほしい気持ちも、いま袋が飛んでったんだよーーー!!みたいに書いただけだとぜんぜん伝わらなくて、こう書いているあいだも伝わらないし、この「感じ」をほんとうのほんとうに伝えるには原稿用紙何枚必要なんだと書く前から途方に暮れてしまう。けれど分量を書けば伝わるという話ではなくて、分量を書いたときに、その分量分付き合ってきた読者の中に生まれる速度みたいなものが必要だという話だ。

小説を書いていて、ある文を直そうとしたら、その次の文とぜんぜんつながらなくなって、結局その文ごとごっそり消してしまったことがあるんだけど、多分なんにでも流れがあって、細切れにして直したり並べ替えたりできるようなことは大したことは言ってない。

短歌でも、57577の77を入れ替えたりとか、そういうことができる歌はそんなに良くない。しっかりした歌はなんらかの必然性があってそこに言葉を置いている。歌会の評でも、入れ替え可能そうな部分はここは動くねーと言ったりする。

喋り方にはそれぞれ速度があって、全てが必然性のなかにカチッとはまった時、文章に速度が出る。詩とかはやばい。あれは適当に書いているようにみえるときもあるけれど、その言葉選びが必然でしかないことに気づくと、イメージの羅列は速度でしかないものに変わっていく。

言葉そのままの意味のの速度に追いつかれるような意味なんて大したことがないんだ。私は吹き飛んでいく袋を見たとき最高の気分になったけれど、それを書き残す言葉の量が足りなかったのではなく、速度を持たせることができなかったから、きっとほんとうに袋が飛んでいったときのヤバさは伝わらない。

短歌とか俳句とか小説はただの書き言葉に比べて速度があって、起こった出来事のヤバさに追いすがれる語法だ。芭蕉とかすごい。古池や*1とかもう速度でしかない。蛙が飛び込むのやばいよ。自然ってやばいんだよ。しかも古池なんだよ???ちゃんとそれがわかってるからこその速度なんだよ。

ほんとうにどうでもいい話をしたい。もっと速度があればいいのだけど。

*1:古池や蛙飛び込む水の音

小説を書くと脳に良かった話

どうにもいろんなことが信じられなくて、例えば私は仕事でデザイナーとして暮らしているけど、世界のほとんどの色がRed Green Blue の3色の組み合わせで表現できるとかいうのが全然信じられない。

モニターで全ての色を表せるわけではないことははっきりしていて、例えばモニターの黒より暗い色は出せないことはすぐわかる。けれど写真を見て、同じものが映っていると認識できるぐらいには色はたくさん表現できてるわけで。

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そのRGBの組み合わせから選んでデザインみたいな事をしていると、世界に色はこれっぽちしかないんだろうか……みたいな気分に襲われる時がある。これで全部表せる!みたいな物が本当に信じられないのだ。*1

あとこの前カントを読んだんだけど、本当にこれがあのカントなのか、カントが書いた文章とおなじ意味のことがこれに書いてあるのか?やばくない?カントってもう死んでるんだぜ?何年経ったと思ってんの?いや偽物だと思っているわけではないけど、本当の本当に200年前に死んだ人の本が今でもめっちゃ読まれている!みたいなことは全然信用ならない。読んでいても本当にあのヤバイ哲学者のカントなのか?ってのがわからない。リアリティがないというより、体験としてわけがわからない。

家の壁の丈夫さも信じてないけれど、この前穴があいてしまって、たしかに家を建てることも破壊するもことができるなら、穴ぐらい開くだろうというのは当然なんだろうけれど、それでも穴が開くところを見るのは初めてだったので、世界に対する信頼は少し失われた。壁のようなものからさえ、世界に対する信頼が発生していたんだなと思う。

信じられなさすぎると人生に支障をきたす。

未来が信じられない若者ってやつは、30まで生きるということも信じられない。私は30で死ぬことすら信じられなくて、45とかまで生き延びてしまって野垂れ死にギリギリラインで苦しむんだろうな、早死できたらラッキーだけどそこまで自分はラッキーではない、ぐらいには思っていたし今でも少しそう思っているんだけど、まあどうなるかはわからない。

ただ保険とか貯金とかは、自分にマトモな未来が来ると信じていられるからできるもので、信じられなければ常にノーフューチャーだし月給取りになることも困難だ。若いうちはキツイけど出世するまで我慢する、とかもできない。

未来を信じていなければ人と約束もできなくなるし、そこまで来るとさすがに困るので、信じられなくても信じているふりをして生きるしかない。

そう、信じられないと大変なんだ。

けれど小説を書き始めてから、世界や時間を信じはじめた、というか、信じざるをえなくなった。

小説を書きはじめてよかったこと

物をよく見るようになる

短歌とかでもそうだけど、路上観察が捗る。好きなものを見るあたらしい視線ができるというか。

そういうときに言語化しておくと、言語に残ったものだけではあるけど、それを長いこと覚えておくことができる。

書き終えるために時間をかけることができる

小説は時間を描くことに適した形態だと思う。

小説に比べてかなり短い短歌とか俳句みたいなのは、断片のようなものを放り出すことで、否応なしにその人の記憶とか、そうなったときの感じみたいなものを引きずり出すことができる。そこから出てくるものはかなり読み手の記憶や経験に依存するので、好き嫌いとか、読める読めないの差が激しく出るのはそのせいかもしれない。

小説は、読むのにも書くのにも時間がかかるというその長さが、弱点でありいいところでもある。読むのに時間がかかるということは、読者の方の記憶になることができるということでもあるから。

登場人物のキャラが濃ければ、読者はその登場人物のことを覚えるだろうし、そいつのことを好きになったりすることまでできる。

長いと書くのは大変だけど、多分長さが小説を小説にしているし、小説が記憶になるということを、書く側も読む側も考えてみると面白いかもしれない。書いている人は、たとえ小説を書かずに洗濯物を干しているときでさえ、小説のことを考えれば小説の中の時間に居ることができる。

だから作り終えるまで時間がかかる作品で、なおかつ進んでいるのが見えるようなものはたぶん全体的に脳に良くて、書いているうちに世界や時間に対する信頼みたいなものができる。一日で書き終わるならまだしも、書き上げるのに一ヶ月かかるんだったら、一ヶ月は生きていたいと思うだろう。まあだからこそ、世界を信頼していないとなかなか手をつけられないのかもしれない。

小説をうまく書き始める方法

入門書

小説入門はこれが良かったけど、逆に書けなくなるかもしれない。そういうもののほうが良い入門書だとは思うけど。

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

小説のストラテジー (ちくま文庫)

小説のストラテジー (ちくま文庫)

道具

私は原稿用紙を買ってそれで書いている。

コクヨ 原稿用紙A4横書き20×20罫色緑50枚入り ケ-75N

コクヨ 原稿用紙A4横書き20×20罫色緑50枚入り ケ-75N

これは横書き用のやつだけど、あえて縦に使っている。縦書き用のやつは真ん中に変な空白があって気持ち悪いんだよね。 万年筆での書き味もいままで触った紙で2番目ぐらいに良い。*2

原稿用紙だと、パソコンで書くときのように延々と修正するできない。できるのはちょっとした修正だけ、でなければ紙が真っ黒になってしまう。気に入らなければ書き直す。

よってできることは、捨てるか前に進むしかない。

私は人生で「小説書きてえ〜〜」となったときが何度かあったけれど、原稿用紙を導入した今回まで、一度もうまくいったことがなかった。原稿用紙はすごい。

多分手書きの方が性に合っていたんだと思う。PCのエディタの空白は切れ目がなくて辛かった。原稿用紙は400字書くたびにめくるという作業があって、これも脳にいい感じがする。手書きのほうが肩の運動にもなるし、作家みたいでかっこいい。PCに写すのはだるいけど……。

書いたもの

そういうことを考えながら色々書いた。わけわからないのもたくさんできたけど、同居人が出て来るこれはちょっとわけわかるし、時間を描けたような気がする(今の私は時間を信頼しているので、もっと書いてればもっとうまく書けるようになるような気すらしている!) 大した冒険はないが雨の中花火をするか迷ったりはする。

kakuyomu.jp

*1:文字でも、日本語は漢字があるからいいけど、アルファベット圏では26文字程度の文字を見て、これだけしか文字がないのか……と思ったりするんだろうか

*2:一番描き味がいいのはアピカのプロジェクトペーパーだと思う