知性がない

なけなしの知性で生き延びていこうな

2017年7〜12月を振り返る

 これは「虚無とたたかう」アドベントカレンダー11日目の記事です。

 今日は昨日の続きです。

7月

 夏が来る。夏のことは好きで、これを書いているいまのような季節(つまり冬)に夏を懐かしんで好きだなあって言うのはよくある話だけど、暑いさなかでもその熱の中で夏を愛していた気がする。コバエも飛ぶんだけどそれでも好きだ。

 7月はBEASTARSって漫画にハマってた。獣人が学園生活するんだけど、草食と肉食が共存する中でいろいろ確執があって……という話。弱い立場である草食動物たちがとても誇り高く描かれていて好き。

キンドル期間限定で無料じゃん、タイムリーか?

 あとは友達の映画を手伝ってキックボードを石で叩いたりElixirって言語をかじったりしていた。辛かった気もするけど、振り返れば良い7月だったな。

8月

 夏が好きなのは夏休みの記憶があるからなのかもしれない。けれど夏休みなんてない労働者になっても8月のことは好きだった。  同居人の3歳の甥が家に来て、遊んでもらって気づいたことがあるんだけど、私には3歳児と永遠に遊び続ける能力がある。彼らはとても繰り返しを愛するのだけど、私も同じようにせがまれれば同じ話が何度もできるのだった。

 UNDERTALEをクリアしたのもこの頃。アンダーテールは主人公の性別がさいごまで明らかにならなかったり、魚と恐竜の百合カップルが出て来るジェンダーがめっちゃ進んでるゲームです。私はヘッドホンつけたオバケと序盤に出てくる喋る石と犬が好きなのでやった人はお話しましょう。

9月

 引っ越しでばたばたしていてあまり記憶がない。金がぜんぜんなかった。

 映画の「アンダーグラウンド」を観て最高になったことは覚えている。

10月

 上の人のミソジニーがやばい会社からドワンゴの電ファミの編集アシスタントに転職が決まる。

 ゲームやらないとなと思い貯金を崩して大量にゲームを買う。しかしプレイ時間がかかることを忘れていた。4本ぐらい買ったけどどれもクリアしてない。

 ペンネームを決めないといけなかったのでしばらくそのことばかり考えていた。

あらゆる文字の組み合わせを試して最高のペンネームを探す図

 結局ペンネームはしば三角になったので見かけたらよろしく。

11月

 転職までをそわそわして暮らす。新しい場所に行くことに本当にビビっていた。

 オーブンに肉と野菜を突っ込んでツマミを回せば焼き料理ができることに気づく。皿にアルミを巻いておけば洗い物も最小限に済むし、タイマー付なので見張ってなくてもよい。オーブンを作った人へのリスペクトが深まった。

 転職後は前の職場より遥かに忙しいのだけど、ミソジニーがやばくないので快適に忙しくなれた。おなじ時間拘束でも空気が違えばこんなにも気分が楽なのだと知った。差別はサイアクだし貧困とは戦わなければならないという気持ちを新たにした。

 あ、転職祝いはまだまだ募集してます。混乱したリストですがどれもらっても喜ぶので……

Amazon.co.jp

12月

 ジムに通い始め、身体を疲れさせる快楽を知る。今まで運動とか何もしてなかったので、疲れると気分が良くなるなんて良い発見をした。

 今日も虚無とたたかうアドベントカレンダーを書いている。

 自分が労働に対してどうしたいかがはっきりしないと労働は何も返してくれないとわかってきて、私は私の脳が良くなる程度に豊かに暮らしたいなあ、と思う。

あとがき

 明日の「虚無とたたかう」アドベントカレンダーは未定です。コンプラ発言が出すぎるのでなかなか@kdxuとは対談できない。

 語ってほしいお題があればこちらのお題箱にどうぞ。参考にするかもしれません。

odaibako.net

2017/12/14 対談しました

noubrain.hateblo.jp

2017年1〜6月を振り返る

これは「虚無とたたかう」アドベントカレンダー10日目の記事です。

今日は私がこの一年いかにして虚無とたたかってきたかを話そうと思う。 今回は1月から6月についてです。

1月

 じょうぎ落としのことを思い出し、また遊びたくなる。

 じょうぎ落としって知ってますか? 私が小学生の頃流行ってたゲームなんですけど。

 机に各々自分のじょうぎを並べて、順番に自分のじょうぎの端っこをペンで押さえて弾き飛ばして、相手のじょうぎを机から叩き落としたり、相手のじょうぎの上に乗せたりするんです。乗られた定規は3弾き以内に相手の定規の下から脱出しないと脱落する(食べられたって言ってた)。

 誰か覚えてる人居ないかな。こういうどうでもいいことを思い出すの、日々が消え去ることに抵抗してる感じがして私は好きなんだけど。

 アピチャッポン・ウィーラセタクンという映画監督の「トロピカル・マラディ」という映画を観たりもした。未だにあの映画についてうまく語れる気がしないのだけど、自分でもなんで泣いてるのかわからないし他に誰も泣いてないのに映画館でボロ泣きするという体験をした。

TROPICAL MALADY

TROPICAL MALADY

2月

shinanai.com

 「冷凍都市でも死なない」が公開されたことを知る。これ2017年のインターネットが生み出したものでもっとも良いものなので見てください。私はこれに影響されてDYMOを買いメロンソーダを作った。

 あとはトカゲにジャンボミルワームを与え始めたらトカゲが激太りしはじめたのもこの頃です。知らない方もいるかもしれませんが私の家にはトカゲが居ます。名前は知性と言います。

 あとこの記事が国語の先生?にRTされてめちゃくちゃこのブログに人が来たりした。

noubrain.hateblo.jp

3月

 電車で突然「ゆうこちゃん!」と声をかけられ、「ゆうこちゃんじゃないですよ」と言ったら嘘でしょーと言われる事件が発生する。結局その人はゆうこちゃんに連絡をとって、ようやく私がゆうこちゃんではないことを信じてくれた。

 私はまだあまり私に似た人を見たことがないんだけど、こういうことがあると、人間に類型があると信じたがる人の動機もわかる気がする。似てる人いっぱい見たら類型があるようにも思うよね。

4月

 dotpictという神アプリがあるのだけど、それにハマってドット絵をめっちゃ描いていた。

 あと #いいねした人を登場人物にする ってハッシュタグを勝手にやってました。一ミリも流行らなかった。

 これとかけっこう気に入ってる。

 Trainspotting2を観て黄色い紙をたくさん買ったりもした。いつかTrainspotting2については語ろうと思いつつまとまった形では語れてないんですが、あれはことばの物語で、言葉を吐いた本人はその言葉のことを信じていなかったけれど、それでも人を動かすには十分すぎたって話です。まだ観てない人は観てください。

5月

 人生を選び取ろうと思ってプログラミングの勉強を始める。

 仕事がわりとつらかった時期でもある。労働時間は今よりはるかに短かったはずなのに、当時はなぜだか職場にいるだけで非常に辛かった。理由は簡単で、上の人々のミソジニーがやばかったからです。

6月

 プログラミングの勉強をしていた気がする。

 この辺はつらすぎてあまり記憶がない。

明日につづく。

2017/12/14 書きました

noubrain.hateblo.jp

労働した晩にぐずる自己を寝かす——メシノートのすすめ

 これは「虚無とたたかう」アドベントカレンダー9日目の記事です。

 この記事を読んでる人の中に、フルタイムで働いている人はわりといると思う。

 フルタイム。フルタイムって冷静に考えてきつくないですか?

 一日最低8時間だぞ。そんなに拘束されたら一体他に何ができるんだ。帰ってきたら疲れて天井を見つめるかツイッターを更新し続けるしかなくなってしまう。そんなの虚無じゃないか。

 そんなあなたにおすすめする虚無と戦う武器がメシノートだ。

f:id:kinakobooster:20171211234553j:plain

 やり方は簡単、一人で飯を食べる時にノートを持っていく。そして食事中に字を書く。書いた字は誰にも見せなくてもいいし、こんな風にアドベントカレンダーにしてもいい。

 私は前職では近所に図書館を見つけて、なか卯で牛丼を食べた後はそこに行って殴り書きをしていた。

 こうして昼飯時に何かを生み出すことで、たとえ残業が生まれても何も仕事以外のことしなかったなという気分を和らげることができる。気分転換にもなるしおすすめです。

よくある質問

Q 誰かとご飯食べることになったときはどうするの?

A 諦める

Q 仕事が充実しているんだけど

A それはすでに虚無と戦えているのでメシノートなんてなくても大丈夫

Q 殴り書きのやり方がわからない

A このページを参考にして練習してみてください。

「自分の書く文章は価値がない」を抜け出すライティング・マラソンという方法←自己検閲を振り切って書きなぐるために 読書猿Classic: between / beyond readers

 タイマーつけてとにかく書き続けることがおすすめ。タイマーはiPhoneだとConcentrate!っていうクールでかわいいやつがあるけど別にタイマーならなんでも良いと思う。

Q ノート落としたらどうする?

A あqwせdrftgふじこlp

明日は@kdxuと対談します。できるかな〜〜。

2017/12/13 書きました。対談はいつかやる…… noubrain.hateblo.jp

語彙力を失うオタク、絶句に抵抗する

 これは「虚無とたたかう」アドベントカレンダー8日目の記事です。

 今日は語ることで虚無とたたかう例としてオタクの話をします。

f:id:kinakobooster:20171211003242p:plain

 なぜオタクは、強大な萌えに遭遇した時、ヤバい……とか無理……とか語彙力を失った、とか言うのだろうか。

 語彙力を失うオタクは結局なにも語ってないじゃないか、というのは大間違いだ。

 語彙力を失うオタクは「語彙力を失った」と発話することで、いかに大きな感情が襲ってきたかを示しているのである。

 本当に全ての語彙力を失ったなら語彙とかいう語彙もなくなるはずで、そのときは、オタクは単に絶句して、言葉が戻ってくるまで待たなければならない。

 「語彙力を失った」という言葉は、いわば絶句と語りの間のセーフティーネットとして機能しているのだ。

 そして重要なのは、これはどこかの人間(や猫やぬいぐるみやソーシャルメディアのタイムライン)に向かって発話されることだ。何もないところに向かって話し続けることに耐えられる人はあまり居ない。(耐えられるのはわりと特殊技能で、わりと役に立つ。授業とかの)

 誰かが「わかる無理」とか返すことで、オタクは圧倒的な現実、それに相対した自己の虚ろさから言語の世界に戻って来れる。そしてまた次の萌えを語ることができる。

 明日は@kdxuと対談をする予定です。お楽しみに。

2017/12/11 対談はしなかったけど書きました

noubrain.hateblo.jp

虚無とたたかう——言語の2つの武器

 これは「虚無とたたかう」アドベントカレンダー7日目の記事です。
 ここいらでちょっと、これまで話してきたことを軽くまとめたあと、虚無とたたかうための武器について話してみたい。

前回までのまとめ

 虚無とは人生がつらい要因のひとつだ。その根っこは人間の時制の理解から来ている。そしてこの虚無は、人生を定められたレールに載せたり人生を程よく繰り返しにする(音楽化する)ことで和らげることができる。
 つまり、虚無とは不安のことで、虚無とたたかうとは不安と折り合いをつけるということだ。
 この不安というのは、未来に何が起こるかわからないということから生まれる。
 人生のレールに乗ったら虚無から逃げられる、というのは、節目を利用して人生を予測可能にするということだ。
 逃げることは悪いことではない。レールに乗ることも悪くないしレールから逃げることも悪くない。

f:id:kinakobooster:20171210002351j:plain

言語によってもたらされた不安に言語によって対抗する

 で、今日するのは、この虚無とたたかうためにどうできるかという話だ。
 慣習の押し付ける結婚や出産などのレールには乗ってやらないことにして、それでいて犬にもなれないとしたら、どう虚無に対抗すればよいだろう?

 言語によってもたらされた不安には、言語によって対抗するしかない。

 どういうことか?
 不安とは、そもそも人間が未来を憂えることができる程度には未来を理解しているのに、その未来の実態が「わからない」ことから出てきていた。

 この「わからない」ことへの恐怖に、人類は2つの方法で対処してきた。

 神話、どちらも古くから伝わる重要な言語の機能だ。


 暦は数値と慣習を駆使して未来を予測可能にする試みだし、神話はおそろしい現象を神というキャラクターによって擬人化し、性質を記述し、人々の間で語り合うことができるものにする。


 そんなの昔話だろというかもしれないが、現代でもそう名指して言わないだけで立派にやっている。
 季節の節目としての暦の力は弱くなってきたにせよ、クリスマスとか正月とか結婚式やら葬式やらは厳然と存在するし、人生を予測可能にすると言う点では、前述したレールの話にも通じるものがある。
 よく話題になる現代用語、例えばIoTとかシンギュラリティとかいう言葉は、私には不安を和らげるための神話に見える。未来を虚無ではなく、名前の付いた、備えるべき脅威のあるものに変えることで、対処可能なものにしているのだ。
 そしてこの暦と神話の2つが合わさると祭りになる、けどこれはちょっと脱線だな。


 これは私の個人的な話になるんだけど、中学高校時代、私はとても行事の多い学校に通っていた。全ての日が絶え間なく行事とその準備で埋められていて、運動場からよく見えるところには、行事まであと○○日と常にカウントダウンが張り出されていた。中間試験すらカウントダウンされていた。

 そしてその行事への準備として、行事についての資料を毎度読み込む時間があった。(神話だ!)

 当時の私はなぜそんなにも行事をやるのかわからなかったのだが、いまならわかる。あれは虚無と戦っていたのだ。中高生なんてすぐ虚無になるのに学校がそんなに荒れていなかったのは、行事がきちんと機能していたからなのだろう。先のハレの日を提示することは、不安をおさえることにつながる。

 ここでも暦と神話が大きな役割を果たしていたわけだ。

まとめ

 つまりはわれわれが虚無とたたかうにはどうすればいいか。
 もうわれわれは言語を手にしてしまったのだし、言語を使っていくしかもうない。暦と神話と2つ機能があるが、その中でも、神話化は気軽に使えることだろう。
 おそろしい未来を耐えられるものにするためには、名付けて、手なづけて、お話にしてしまうことだ。
 神経症であったハンナ・Oがその治療の過程で初期の精神分析家ブロイアーと見出した「お話し療法」のように、言語によって虚無に対抗するのだ。 

心的外傷と回復 〈増補版〉

心的外傷と回復 〈増補版〉

 

 この本の23ページにハンナ・Oとブロイアーのお話し療法の話が触れられています。

 

神話の変奏 (叢書・ウニベルシタス)

神話の変奏 (叢書・ウニベルシタス)

 

今回は昔これを読んだ記憶を元に書きました。この本高いよ。 


 次回の「虚無とたたかう」アドベントカレンダーは未定ですが、神話化についてもう少し踏み込んだ話をしたいです。お楽しみに。

2017/12/11 書いた

noubrain.hateblo.jp