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知性がない

なけなしの知性で生き延びていこうな

息苦しくなく文学をやる

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私はいま短歌をやっていて、もう四年ぐらいになるかなあ、そろそろ短歌のことをよくわかりたい気持ちになってきたので、1月から『現代短歌の鑑賞101』を頭から写経している。

 

現代短歌の鑑賞101 (ハンドブック・シリーズ)

現代短歌の鑑賞101 (ハンドブック・シリーズ)

 

 

学ぶことは多い。人生がいかに作るものに反映するか、してしまうのか、とか、ただの風景を57577の枠に入れることでここまで面白くなるのかーとか、結社に入らずにすごい短歌を作る人もいるものなんだなあ、とか。

 

けれど、最近面白くないゾーンに入ってしまったのか、写していても楽しくなくて、それで短歌のことがわからなくなってしまった。そりゃ今までもわかっていたかというと、そんなことはないのだけど。その面白くないゾーンの面白くない人は、正字(国を國って書いたりする)を使うし、変換候補の奥深く眠っているような見たことない漢字を使った言葉を使うし、文語で書き、七五調でどんどんいく。ぱっと見すごく短歌っぽい!ちゃんと読んでも短歌だねえ、と思う。格調高くもあるんだろうなと思う。

私はその人の短歌を読むことで、風景や感情を短歌に見せる方法がわかった。正字を学び、語彙を増やして、文語で書けるようになれば、私にもこのような短歌っぽい短歌が作れるんだろうと思った。

 

でもそんなこと全然やりたくなかった!

 

正字のことは嫌いではない。語彙だって手持ちの少なさを歯がゆく思ってる、いつか文語もやらないといけないんだろう。それはいい、けど問題は、短歌っぽい題材を選んで短歌っぽく調理してはいどうぞうーんこれはどう見ても短歌ですねおいしい!ってなったとして、それが面白いのか?ということだ。

私はその人の作るものに、短歌っぽいということ以外の何かを見いだせなかったのかもしれない。

でもやっぱ短歌をやるには、やっていくには、そういうのも作れた方がいいんだろうか、友人に話すと、「君はすごくやりたくなさそうだよ、面白くないことはやらなければいいんじゃないかな」と言われた。本当にその通りで、あまりの正論に気分が良くなり、その晩面白くないゾーンを勇気を出してどんどん飛ばし、そして人生が良くなった!

 

 

試行錯誤に漂う

試行錯誤に漂う

 

 

 

その日の前にちょうど保坂和志の本を読み終えていたのだけど、保坂和志はそのような、小説っぽい小説みたいなものに抵抗し続けているのだなあと思う。形式にはそれに期待される書き方みたいなのがあって、小説とかも話に始めがあって終わりがあり、伏線を回収したりする。そんなん当たり前だろ〜って思う人もいるだろうけど、小説の世界はもうちょっと豊かで、少なくともカフカベケットはそんな書き方をあまりしなかった。

 

別にそれっぽいものを作ることは悪くない、けど、それっぽいものの真似を続けてそれっぽくなり続けるのは息苦しくないか。

そう考えると、逆に何が文学、作品を作っているのか、というのが気になってくる。文学みたいな喋りはある。それは書き言葉であり、文体であったりする。でもいまここに書いている日記のようなものや、路上で人が喋っていることや、看板や、広告のトラックから流れるバニラの求人が文学ではないと誰が言えるのか。

 

街のことば (@machi_tweets) | Twitter

 

ツイッターの街のことばとかすごいアカウントで、私はこれが大好きだ。これは街の人々の会話の盗み聞きというか、印象的なことばを流しているのだけど、リプライを送ると詳細を教えてくれる。これがすごい、なんというか、突き放される心地がする。

 みたいなツイートにリプライを飛ばすと、例えば「恵比寿で30代男性が言ってました」とか教えてくれるんだけど、すごくないですか? だってそんなことわかったってその言葉の理解に全く関係してこない。切り出された街の言葉を見た瞬間のなんだよこれ、という感じがぜんぜん消えない。場所や人について知ってもこの言葉の文脈はわからない。気になる気持ちだけが宙づりになって、笑ってしまう。理解をすればすっきりするんだろうけど、きっと永遠にできないね、ということをこんなにも鮮やかに描き出している、すごい。文学か?と思う。

こういうのを見ていると、文学やそうでないかというのは受け取り手の問題なんじゃないかと思ってしまう。絵とかならわかりやすくて、ポロックみたいななんかぐちゃぐちゃしてるものでも、これは有名な作者のやつだよ〜〜って渡されたら、そうか、これはすごい絵なのか!ってなる。それは、渡された人が、芸術として受け取る準備ができていたから。この作者には街の断片も芸術として受け取る準備ができてて、だからこういうのを集められるし、それが面白くて仕方がないのだろうな。

そう思うと、言葉の世界はそんなに息苦しくなくて、自分が本当に使っている言葉で、かっこつけたりしないで何かを書くことも不可能ではないんじゃないかと思う。この文も肩の力を抜いて書いた。

 

 

 

ARIA アリア 譜面台 AMS-30DT 収納ポーチ付属

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写経に使っていた卓上譜面台です。軽いし畳めるので重宝してる