知性がない

なけなしの知性で生き延びていこうな

死にかけて音楽を聞いた話

実は自殺未遂をしたことがある。

結局失敗したからやめたし、いまもまだしたいかというとそんなことはないような気もする。けれど、いまでもたまに、失敗した直後のことを思い出す。

その時は本当につらくてつらくて仕方なくて、全てのプレッシャー物音思考に耐えられなくてもうダメだこれは死ぬ!と思っていたし実際そうしようと思っていた。

いろいろあって結局失敗してベッドの下に転がっていたときも、何をやってもうまくいかないなあとは思っていても決して生き延びてよかったなあとは思っていなかった。

しかし、そこで私は床越しに聴いてしまったのだ。

それはブルースだった。曲名がわかるほどはっきりとは聞こえなかったし、そんなに詳しくないし、普段はブルースなんて聴かないのだが、その時聞こえた声は、音楽は、床越しにも届いたあの強い声は、ブルースでしかありえなかった。

人間関係が希薄なアパートなもので、私は真下にどんな人が住んでいるのか知らない。ただ、その時に流れていたのが、他でもないあのブルースだったというその一点だけで、私は下の階の人に感謝している。 へばりついてそのブルースを聴いていると、痛いほど動いている心臓もしびれるほど緊張した身体もなんだかほどけてきて、絶対にもうダメだという気分から、今日のところは勘弁してやるからな!と妙に寛容な気持ちになってきて、ぜえぜえ言いながら精神科の予約をとるまでに落ち着いた。

これは音楽がすごいという話ではなくて、むしろ音楽のせいで生から逃れさせてもらえなかったという話だ。

4分33秒で有名なジョン・ケージは、無音の空間に行ってみたくて無響室に入った。その時、彼は心臓と呼吸の音以外に高い音と低い音を聴いたという。後でエンジニアに聞くと、高い方は神経系統の音で、低い方は血流の音だったという。そして彼は、「自分が死ぬまでこの音は続き、死後も音楽は鳴り続けるだろう」と言った。

確かにそうだ。なにもかも失くしたって音楽だけは残るし、自ら全部失くそうとした奴のところにも音楽は訪れる。音楽からは逃れられないしそこにうっかり救いを見てしまうことだってあるだろう、けれどもやっぱり救われないし、救いも無いまま人間は音楽とやっていくしかない。でも音楽さえ残っていれば、きっと十分なんだろう。

カシオ 電子ミニキーボード 44ミニ鍵盤 SA-76 ブラック&オレンジ

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バーナムピアノテクニック(1)

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最近はロシナンテというバーに行ってからピアノを弾きたくなって、バーナムのアホみたいなやつを筋肉痛になりながら進めている。ほぼ初めてでも弾けるレベルなので楽しい。