『ユダヤ教の人間観――旧約聖書を読む』エーリッヒ・フロム
旧約聖書の注釈本。馴染みのない人には敬遠されるかもしれないが、異常に面白いし感動的なのでみんな読んで泣くといい。
- 作者: エーリッヒフロム,Erich Fromm,飯坂良明
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1996/06
- メディア: 単行本
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フロムは『自由からの逃走』で権威主義を批判したことで有名な精神分析家*1だが、ユダヤ人として生まれただけあって聖書の教養はものすごい。*2
そこで旧約聖書をきちんと読んで解釈しようとするのだが、これが感動的なのだ。
モーセが何度も人の心を変えることに失敗すること
モーセはエジプトで奴隷化されていた人々を開放し、神に約束された地へと導こうとするが、これが全然うまくいかないのが旧約聖書の面白いところだ。
確かに奇跡は起こる、エジプト王を説得するため魔術師とモーセが力試しをするときに、虻を大量発生させたり川の水を血に変えたり、蝗を大量発生させたりは起こる。海も二つに割る。だがしかし、人の心はなかなか変えられない。神が人の心をかたくなにしたため、何度も説得に失敗する。
エジプト王は民衆が蝗の被害にあって飢えて苦しむまでモーセにエジプトを出る許可を与えないし、モーセにせっかく連れだしてもらったヘブライ人も荒野の旅でこれなら奴隷のほうがマシだったと文句を言うし、モーセが目を離した途端黄金の子牛の偶像を崇拝し始める。
フロムによると、これは神がいじわるをしているわけではない。神は奇跡は起こしても、人の心は変えないのだ。旧約聖書では、アダムとイブが知恵の実を食べた時からずっと一貫して、人の選択は全て人の意志で行われている。このかたくなにするという表現は、神の意志がはっきりしていないのではなく、神が人をそうつくったという自然現象のようなものとしてとらえるべきだ、と。
海が割れたのも、最初のイスラエルの民がまさに足を踏み入れてからだった。
つまり、聖書はでは人が良くなるも悪くなるも人の自由ということが描かれている。全能の神は全ての選択権を人に与えている。
という風に、モーセと神との説話の解釈を通じて、聖書の中から人間の自由意志の証明を引き出す辺りは感動的だし、付録についているイエスの最後の言葉の考察はもう泣く。
イエスの死は絶望的だったのか?
イエスの最後の言葉として、エリエリエバク、サバクタニ(神よ、どうして私を見捨てられるのか?)というのが有名だ。
イエスは磔刑に処せられているし、これだけ聞くとイエスは絶望しながら死んだのかと思われがちだが、実はそんなことは全然ないという。
ユダヤ人の伝統に、詩の一行目で詩の全体を指し示すというものがある。
このエリエリエバクサバクタニは、詩篇の22の冒頭と一致する!この詩は、何度も襲い来る絶望の詩ではあるが、その果てに救いと歓喜を確信する。イエスがこの詩を知らないわけがない! 磔刑にされながらもすでに救いを見ていたんだ!という。
私がこんな風にざっくり書いてしまうとそうなのかーで終わりそうだが、そこは文章家のフロム、しっかり論理的に、それでいて泣けるように書いてくれている。
聖書はたくさんの人に大切にされている書物だし、その解釈は無数にある。道標無しで読んでしまうと退屈な本かもしれない。そんな中で、この部分はこう解釈するか!と驚ける部分もあるし、ここは聖書の中でもつまんないよね真に受けちゃダメダメ〜みたいなことも言うしお茶目な部分もあるし、解釈の面白さにふれるのにもいい本なのではないかと思う。