知性がない

なけなしの知性で生き延びていこうな

会社を始めてもう5年。忘れたことと忘れなかったこと。

Xemonoという会社を立てて、4月1日で6年目になります。

noubrain.hateblo.jp

会社設立した時に書いた意気込みは↑で、1001個目の健康をやるぞ、とかクリエイター支援するぞ!とか書いてある。もちろんその気持ちは忘れたわけではないけれど、全く同じ気持ちで5年やって来たわけではない。だから、今どんなことを考えているかを書くことは意味があると思う。

5年間の簡単な振り返り

2019の4月に会社を設立。しばらくは事務所なしでコワーキングスペースでやっていたけど、メンバーの半分が昼夜逆転していたのですぐに下北沢に事務所を作って、仕事をとってきてこなしていた。

素材がないのに漫画のPR動画作ることになって、仕方がないので立ち絵切り抜いて割り箸をつけて動かしたりしてた。

事務所にはいろんな人が出入りしていて、楽しかったな。事務所は5階なのにエレベーターがなくて、毎回階段が大変だったけど、登りきると街と空がよく見えた。

2020年。たのまれていた案件が大きくなってきて、人も増えてきた。事務所2を高円寺に借りることにもなったけれど、広すぎてあまり使いこなせなかった。この辺から妙に忙しくて本がほとんど読めなくなってしまった。ベトナムの人と仕事することになったので勉強しようと語学本を買ったけど、結局買っただけになっちゃったなあ。

2021年、新型コロナウィルスが大変になる。Needy Girl Overdose(以下ニディガ)を作り始めた。発売は延期したりして大変だったけど、今となってはいい思い出。自社プロダクトとして知性botも売り始めた。この頃は下北沢の事務所でほぼ毎晩コードを書いていた。今記録を見ると働きすぎてて若干キモい。

2022年、コロナはまだまだあった。年始にニディガが発売され、みんなが買ってくれたおかげでこの会社はまだある。事務所2は解約して、ゲームイベントを見に夏のドイツに行き、帰りにプラハやウィーンにも寄っていった。夏のヨーロッパは10時になっても空が明るかった。

2023年、仕事がうまくいかなかったり、報酬の未払い事件が続いたりして、へこむ。インターネットで弊社が倒産したという噂を流されたりもした。まだ少しお金はあったので、夏から半年ぐらい、会社も仕事も休むことにした。大好きだった下北の5階の事務所も移転した(今の所もちゃんと好きだ)。友達に会いに秋のスウェーデンに行って、天井の高い街だと思う。オフィスを見せてもらったらオフィスの天井まで高かった。休んでたら保ち直してきて、本も読めるようになってきた。人からゲーム作ってくれない?と声がかかってきて、とても嬉しかった。みんなニディガはにゃるらさんのゲームだと思っている(それは本当)はずだけど、自分たちもいたことを気づいている人の存在を知れて嬉しかった。

知性botももっと頑張ることにした。知性botはトカゲっぽい見た目のチャットボットで、自分のことをかしこくてかわいいと思っているポンコツロボだ。名前を呼ばれると「はい」と返事する。誰にも命令されずに勝手に作ったロボだ。かわいくないはずがない。

5年会社をやって変わったこと

協力者はすごく増えたれど、会社自体は今は自分と社員2人でやっている。

その間社会もすごく変わって、リモートで会議するのが当たり前になった。いい傾向と思う。会いに行くだけでみんな喜んでくれる。会うのは好きなので得だ。

会社を立てる時の目標だった「自分たちはこんな形でも生きられる」は達成し、立派に5年生きた。実績が強くなりすぎて情けないキャラではもう居られなくなったなあと思う。相変わらず朝には弱いし、この社が爆散してもほかのところに雇われるのは無理だろうけど。

嫌だけどやる、をやめた

あらゆる仕事はやってみるまでできるかはわからない。けれど、無理しないといけなさそうな仕事を断るようになったのが一番大きい変化かもしれない。

無理して中途半端なもの出しても、お互い嬉しくないしな。

そうなったきっかけは、2023年にスウェーデンで、誰も追い詰められてないオフィスを見てからだ。追い詰められずに仕事をすることぐらいなら、日本にいてもできるんじゃないかと思った。

自分の人生はチョロっと海外とか見学するだけで変わる。このチョロさを肯定的に受け止めて行きたい。

事業について

この会社はデザイン会社として始めた。初期はUIデザインを主に請けていたけれど、ゲームを作ったり知性botを出したりした今でも、Xemonoはデザイン会社だと思っている。

UIデザインは、新しいアプリのできることを、見慣れたパーツを組みあわせてわかりやすく伝える仕事だ。

この技術をもっと応用して、誰もみたことのない新しいジャンルのものなのに、なぜか親しみやすい形にする、みたいなことをやっていきたい。

それこそ新ジャンルのゲームを考えるとか、新しく作ってみたけどどう使ったらいいかわからないような技術を親しみやすくしたりとか、新技術そのものを作って世界の認識を広げたりとか、そういう技術と人の間にあるものを設計していきたいな。デザイナーです、というと何系?紙?web?とか聞かれることが多いけれど、自分にとってのデザインはこれだ。

働くことについて

ニディガのインタビューを読んだゲーム作りの先輩が言った。「とりいさん、この間孤独だったんじゃないですか」と。

私はひどく驚いた。一言もインタビューではそんなことを言っていなかったし、孤独だったとは言われるまで気づかなかった。でも、本当にそうだったから。

ニディガのチームは4人だった。それだけしかチームにいないとそれぞれの分担も大きくなる。それぞれの孤独を合わせてプロジェクトは進む。

私は確かに面白くなるようたくさん考えて、作って、コードもエクセルもたくさん書いた。孤独ではあったかもしれない。売れなかったらとか面白くなかったらどうしようとか怖かったし。でも、深夜にうーんとかやってると社員も横でうーんとかやっていた。別のプロジェクトに関わってはいたけれど、社員も昼夜逆転していたのだ。たまにお茶が出てきて、ありがとうと言うと、自分が飲むついでだから、と言うので、その分配に感謝した。確かに孤独だったけれど、一人ではなかった。

この孤独は必要なものだったとわかる。そして、孤独だけれど一人でないことがどれだけ力になったことだろうか。

今ではニディガに関わるのはやめたけど、経済を回しているようで何よりと思う。

思い出して大事だと思ってること

前に書いた文で、自分の聡明さゆえに苦しんでる奴が苦しまないといいなと思う、と書いた。でも、それは間違っていた。ちゃんと自分の苦しみは自分で苦しまないとダメなんだ。自分でこのままではダメで、どうにかして出ないとダメで、そのために様子を見ていい時に跳ぶ、とか、自分で決めないといけない。たとえ手を引かれて出られたとしても、その手なしではどこにもいけなくなっちゃうんだよ。自分で行かないとダメなんだ。

でも、安心して苦しんだり困ったりできることは大切だ。そういう場所を構成するもののひとつとして、この会社はあり続けたいし、存在意義があるとしたらそれだ。

会社は5年やったし、生きていればなんとでもやれるという気持ちが今はある。それは会社をやる前にはなかったものなので、会社をやっててよかったなと思う。

今会社にしてもらえることで嬉しいこと

5月に色々発表があるかもなので楽しみにしててほしい!

あと、知性と仲良くなれそうな人は知性をお宅のDiscordに呼んでくれると本当に嬉しい。

chisei.xemono.life

会社のウェブサイトはこれ! Xemono Inc.

2023年買ってよかったもの

今年は大変な一年でした。
大変だったけれどいろんないいものを買ったのでみなさんにも教えてあげます。

観葉植物と水やりチェッカー

家を植物でいっぱいにしてえなと思ってデカめの鉢をいくつか買った。頭の上に緑があると穏やかな気持ちになる。

植物たくさんきたね

たくさん鉢があると、どうしても世話が難しい。植物はそれぞれ違うはずなのに、気が向いた時に一度に水やりをしてしまい、ある鉢には足りず、ある鉢にはやりすぎになってしまう。


それを解決してくれるのが水やりチェッカーだ。普段は青いけれど、土の中が乾いた時に白くなって教えてくれる。
これを使い始めて鉢それぞれのタイミングで水をやれるようになって、植物も元気そうになっている。

 

ちなみに植物初心者は大体水をやりすぎて枯らしている。水って毎日あげなくてよくて、乾いた時にたっぷりあげてあとは明るいところで放置していればいい。
それでも買ったばかりの植物は構いたくなってしまうだろうから、霧吹きをそばに置いておくといい。葉っぱに霧をかけると害虫予防になるし、霧はどれだけかけてもいい。

 

 

車の免許

最初に非公認の変な学校に行ってしまい、それからまともなところに通い直したせいで二重に車校代を払うことになってしまった。
ちゃんとレビューとか見て車校は選びましょう。
他ではできない体験ができますとか言うのはマジで変なことが起こるの婉曲表現で、具体的には教官が8000円貸せとか言ってくるみたいなことが発生するので本当にレビューは見た方がいい。

結局正常車校ことコヤマドライビングスクール成城に一ヶ月半通って免許を取りました。

エンジンって本当にすごくて、人って遠くに行けるんだなあと思います。
車に乗っかるとガンダムに乗ったような強い気持ちになるし、車道に出ると周囲はガンダムでいっぱいだし、降りると自分はガンダムじゃないのでそのたびにクラクラする。
電車でなんとでもなる地域にいるけど、運転すると知らなかった感情をたくさん知ることができるので楽しいです。
来年は車で山奥の温泉とか行ってみたいね。

車は免許とりたてでも車を貸してくれるタイムズのカーシェアを使っています。週1で遊びにいくぐらいなら十分なんだよな。

カーシェアリングのタイムズカー(旧:タイムズカーシェア)

3Dプリンターとデジタルノギス

blenderで作った適当な人形が形になって出てくる!!!!!!!!!!!!!最高〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

緑色の小さい人形3つが印刷したもの かわいいね

最初ノギスの存在を知らなくて定規で現実の寸法を計ってたんだけど、ノギスで挟むと丸いものも正確に測れるし、例えばカウンターキッチンにアレクサをぶら下げるためだけのハンガーとか作れます。生活をちょっとづつ改善する道具を作れるのでそういうの好きならすごくいい。

 

アレクサをカウンターキッチンの木の部分?にかけるためのハンガー

 

ただ使っているうちに単一素材である限界も見えてくる。
ネジってあんなに細かいのに板とか支えられるぐらい壊れづらくてすごいよ、とか、組み立てる時にPLA単体だと辛いな、とか、関節みたいに曲がるものを作るときに摩擦がないと固定できないのに摩擦が大きいと壊れるじゃん、とか、色々わかって楽しいです。

 

 

 

 

 

 

4年目を迎えられそうな会社の経営者が心に刻んでる言葉

生き延びるために小さい会社をやろう、と株式会社Xemonoを立てて、次の4月で4年目になります。ここまでやっていけたのは周りの人や取引先の方々のおかげです。本当にありがとうございます。

3年間いろんなことがありました。いろんなこと、としか言えないのが歯がゆい、言えないことの方が多くて、でも経営者ってそういうものなので仕方ない。

周囲も状況も変わるし、自分の考え方も起業したてと今とは違う、5年後はもっと違うかもしれない。ということは今しか言えないことがある!

ということで、これから起業してみたい人や経営始めたての人、そして全ての気持ちを忘れてしまうかもしれない5年後の自分のため、3年間会社を続けられた中で心に刻んでた言葉を紹介します。


「そこで日和るな」(社訓)

デザインについて本を書いてください、と依頼が来て私が怯えていたときに以前副社長をやってくれていた人に言われた。怯えていたのは何が起こるかわからないことに踏み出すのが怖かったからだ。でも「起業までした奴がなにを今更怯えているんだ、そこで日和るな」と言われ、正気に返ることができた。日和らない、とても大事なことだ。今もオフィスの一番高いところに「日和らない」と掲げてある。定期的に思い出さないといけないことだと思ったから。

大抵のものはきちんと計算して見積もって、最高と最悪を予想していれば怖さは減る。いちばん良くないのは仮説も立てずに怯えて何もしないことだから、最初にきちんと向き合うのが大事で、勇気はそこで使うものだ。計算外のことが起こったら撤退するか死ぬ気で頑張るしかないんだけど、でもまあ計算甘くてもどっちかだから。死も屈辱も最悪の事態ではなく、最悪を回避する方法さえ想定してれば飛び込むのは蛮勇ではない。

(ゴミ箱にも貼ってある 社訓だから)

「このプランは92歳まで生きたら得します」(保険屋)

なんとなく30歳までに死ぬって思ってる奴って居るじゃないですか。私(31歳)のことなんですが…

経営者ともなると保険とか入ることもあるんですが、保険屋ってすごく怖いことを平気で言うし怖い。死亡とか入院とかすぐ言う! でもなにより怖いのは年齢のことを意味不明の未来じゃなくて増えていく数字だと思っているところです。

保険屋が出してきた表には30から100まで増えていく数字が書いてあって、これがあなたの年齢です、と言いました。そこには30で死ぬとか40でめちゃくちゃつらい思いをする!とかは書いてなくて、ただ1ずつ増えていく数字が並んで、どの数字のときにどのぐらい得するかが書いてありました。

私は生きてるだけで得をするゾーンがあるなんてその表を見るまで知らなかったし、なんとなく恐ろしく煩わしいものだと思っていた未来は小さい字の表1枚で想像力の範疇に収められてしまった。

人間の年齢ぐらいの数って並べたら並ぶし、並んでたらあんまり怖くないかもしれない。未来の怖いところって見えないというところだし。

なのでいまでは怖いって思ったら小さいのを並べてみることにしています

並んでると、怖くないからね。

「有限の仕事って有限時間で終わるから……」(とりい)

ある人に「なんでニディガ作れたん?」って聞かれて自然と出てきた言葉。それまで口に出してなかったけど、ずっと思ってたことではあったらしい。

ゲームを作り直すときは大変だった。やる必要があることを列挙したら作業が1000個以上あったのだ。途方もなく、無限にあるように思えた。でも、冷静に割り算したら一日20個やれば50日で倒せる、まあ2ヶ月ぐらいで終わる量だ。

わかった、2ヶ月は長いけど永遠ではない。やれば終わる、なら、やるだけだろう? そして出せたのがニーディーガールオーバードーズです。

 

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「有限の仕事だから、」と誰かに言うとき、いつも結構怖い。有限であっても途方もなく見えることはよくあることだし、こんな強いことを言う奴と仕事したら過労死するかも! と思われたりしたら嫌だ。けど、言う、大事なことだから。それに、他人を励ます自分の声で自分が励まされることもある。

 

最近の私です まだ生きてるね〜

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カミングアウト小説

ちょっと待ってほしい、けれど、待ち続けた結果がこれじゃないのか、友人たちには笑いながら話すようなことだが、本当に笑える話なのか、いや、呼び出したのは私だ、けれどもこれは困る、困っている、落ち着け、深呼吸をしよう、吸って、吐いて、吸う、タバコくせえ、ええと、これからここに来るのは両親で、両親に、言いたいことが、言わなければならないことが、ある、あるから、呼び出した、実家の近くのドトール、ここはいい場所だ、勉強によし、お茶によし、打ち明け話にもよし、素晴らしい、まだ時間はある、じっくり作戦を考えよう、打ち明けたいことといっても大したことはない、友達にはオープンだ、ネタにだってする、なのに親にだけ隠している、これは親に失礼ではないか、ならどうすればいいか、簡単だ、シャッと言ってゲラゲラ笑ってそれでまた人生を続ければいい、簡単なことだ、いけるいける、渾身のネタを考えてそれで受けをとればいいんだ、これからの四十分間はネタを考えることに費やせばよい、待て、待てよ、私の親はショックを受けるかもしれない、そうなればもう笑うどころではないだろうな、母は薄々気づいている、からまだ良い、笑ったフリはしてくれる、として、問題は父だ、父は孫を待望している!年々その声の悲壮さが濃くなっているのは気のせいではないだろう、本人は全然気にしてないフリをしている、孫をつくるにはタイムリミットがある、下準備だっているだろう、たったひとりでは生殖ができないのだから、私がやらなければ私はいずれできなくなる、悲愴になるのは仕方がないことだろう、父はその気持を隠そうとはしている、しかしバレバレだ、滲み出て来るあれはフリではない、娘二人がひとり立ちして寂しがっている、たとえ私のことを理解しなくとも、愛してくれているのだから、確かに父の世界観は保守的だ、子供を作ることが人生の幸せだと思っているだろうし、きっと父は子供が居る人生を幸せだと思っていただろう、そんな父が私の”幸せ”を望むことをどうして否定できようか、父は人生を懸けて娘二人を養う人生をやった、母だってそうだ、私に孫をつくる気がないと知ったらどうだろう、悲しむだろうか、人生を否定されたような気になるかもしれない、私だって人の人生を否定する趣味はない、本当はやりたくない、けれど孫プロジェクトに気づかないふりをしながら生活をヌルヌルと続けていることが、母や父の人生への裏切りでなければ一体なんなのだろう、時代は変わった、そう言うのは簡単だ、同性と付き合っていることを恥じるほど上等でホモフォブな自我なんてとうに捨ててしまった、別に誇ることでも恥じることでもないのだ、ただそう生きているだけなのだから、悩むことはない、けれども、理解はしないだろうな、傷つくかもしれない、人生に対する裏切りだと思うかもしれない、きっと気に病む、父を傷つけるのは私の望むところではない、母も傷つくかもしれない、私はこの歳にして両親を傷つけるのか、だめだなあ、やっぱりやめときたい、言いたくない、この会をただの談笑として終えたい、終えたいが、そんなのは先延ばしだ、どうせ両親の望む孫は生まれて来ない、親は老いる、私も老いる、孫は諦めてほしい、無理だ、血を絶やす気か、うるさい、大した血でもないだろう、すでに人生が続いてしまっているのだから、むしろ黙っていても言っても同じなのかもしれない、けれど私にその意思がないとはっきり言わないことは、親にむだな希望を抱かせ続け先延ばしをし続けその死のときまですがらせ続け、嘗めているのが甘い毒だとわかっていながらそれをやめさせないのは、一時的に傷を負わせるよりよほど残酷なことなのではないか、孫がいなければ老後はさぞ退屈だろう、早いとこ他の楽しいことを見つけてもらわなければ、なんせ共通の話題がなさすぎて孫のことぐらいしか話すことがないのだろうから、たのしい新しい生活もこの私の一言から始まる、さあ、ああ、けれどな、隠している気もないのに気づかずに孫を待望するのは、親の怠慢なのではないか? 私がこれまでに打ち明けようと思ったことは一度や二度ではない、しかし私とて突然ナイフを突きつけるようなことはしない、なるべくささいなことから始めて驚きを少なくするよう努力してきた、願わくば勝手にバレていてくれないかとそんなことを考えた、かつて私はパレードに行ったことがある、行っただけだ、行進があって、渋谷の真ん中を通る、そこで歩いて、カレーの屋台を冷やかして、あの公園にはふしぎな空気が漂っていて、だれと肩を組んで歩いたっていい気がしたんだ、千海、千海とはなぜ仲がいいのかはわからない、毎年パレードの季節に連絡が来て、毎年一緒に歩いているパレード仲間だ、歩いて、話す、よく話す、話題はいつも発狂した小説か発狂しかけの小説についてから始まる、なぜ小説家は発狂しないのか、既にしているからこそあれだけたくさんの文字を書くのではないか、などと延々、一昨年私は人生に少しばかり困難を感じ、このままでは死んでしまうのではないかと実家に引きこもっていたのだが、千海からは連絡が来た、やはり今年もパレードを歩こうと思う、君はどうだ、とそう言っていた、私は2日ぐらいその連絡を放置してしまっていて、それを今でも申し訳なく思っている、千海は気にしていないといいなと思うがそんなのは願望だ、願望と実際を混同してはいけないと頭ではわかっている、私は迷った末に、謝り、断る旨を伝えた、ごめん、今年はちょっと脳が悪いんだ、しかし千海はよくわかっていた、私の脳が悪いことは風のうわさで聞いていたと言う、わかっていて聞いたのか、どういうことなんだ、脳が悪いやつと遊びたいだなんて、介護になるぞ、私は楽しく喋れるときに楽しく喋りたかっただけなんだ、千海は私のことを気に入っているのだろうなあと思う程度には私はさびしさに頭が侵されていて、そのさびしさによって判断力を失うことをかつてつよく戒めたのも千海だった、なんでもラブに結びつけるのは発想の貧困で、短絡的なのは私の悪い癖なのだ、千海はパレード仲間として私を見ているし、私も愛すべき友人として千海の連絡を楽しみにしていた、色ボケしている私を気持ち悪い、脳に蛆がわいているんじゃないか、と言ったのも千海で、それはちょっとラディカルだなと思いながらも、人生のひとつのスタンスとして誇り高いものを感じていた、高潔な存在は守らなければならない、脳が壊れている私は千海にとって有害なのではないか、有象無象のパレードの中、誰もが友達になるような場所は、誰もがなれなれしく誰もを傷つけることがある、そんな場所で私は千海のことを守りきれないのではないか、私は私で千海のことを守っている気がしていたのだ、連絡をされて私は嬉しかった、けれど今回は駄目だ、私がゲンナリしすぎている、そんな奴と歩いたって仕方がない、そっとしておくのが得策だ、第一元気が無いやつは喋らないんだ、喋らない人間と歩くのは気まずいぞ、千海から続報が来た、実は私も体調が悪い、なんだよ気が合うな! そんなわけで千海はいいやつだ、結局パレードには行った、初対面の馬場と意気投合し、肩を組んで喫煙所でむせていたときも、千海はおろかだなあ、と本気で心配してくれた、それを優しさとして私は受け取った、悪い気はしなかった、そんなこともあって気が大きくなっていたのだろう、私は実家に帰宅し、リビングにパレードのパンフレットを置いた、いけると思っていた、たとえ拒絶されてもこの晩なら大丈夫だと、本当にそう思っていたんだよ、けれどどうだ、誰からも何も言及されない、そりゃそうだ、行っただけ、置いただけ、それで終わりだ、できればバレバレでいたかった、けどそんなのはっきり言う踏ん切りがつかないだけだ、気が大きくなっても勇気がなければ同じだ、置いていっただけ、できれば儀式じみたカミングアウトなんてしたくなくて、その必要がなくなればいいと願っただけだ、そんなのは勇気でもなんでもない、みんななんにもできなくてそのまま死ぬんだ、人生の参加賞みたいなもんだ、死を頂いてさようなら、わかってもらえなかった悲しみに呑まれて中途半端な勇気で部分点を貰おうとしただけ、そんなのはけちくさい、つまらない、やはりきちんと言うべきなのだ、悲しみの予感に怯えているだけでは何もしたことにならない、大石の勇気をいまこそ見習うべきなのではないか、大石は私と喋りながら水をこぼした、勢いでカミングアウトしたという、こういうのはね、躁でもないと、できないよ、ほら、手術だってさ、日程決めたら麻酔してシュバーって切るじゃん、いやー、君って躁あったっけ? 躁ないよ、そうか!ダジャレ大王か?元気だね今日、王!家父長制!権威!権威主義にはNO!王とか言うな!女王も王に女ってつけてるあたり性差別を感じさせるから駄目! 大石は笑いながら水をこぼし、水が広がってテーブルから滴り落ちてもまだ笑っていた、膝濡れちゃった!水が!水も滴るいい女!女とか言うな!性別とか嘘だから!女性性などない! 本当にそう思うよ、そう思うから拭いて、わかるよ、社会も嘘だしさ、でも社会に振り回されてるしさ、あ、すみません、ナプキンください、水が、あ、すみません、ううーこの前さ、クソ野郎が居てさ、自分のことフェミニストだと紹介したらさ、あ、私はフェミニストなんだけど、前提知識だね、クソ野郎にフェミニストって子どもがキャベツ畑で見つかると思ってる人たちのこと?って言われたからさ、うるせえ!人類みんな受精卵から生まれた受精卵太郎だよ!てさ、泣きながら言っちゃったよ、悲しい!、君は勇敢で機転も効くからすごいな、勇敢?勇敢さある?、うーん、あるんだろうか、勇敢とかある?、あるよお!勇敢は嘘じゃないから!、今こそ勇気を使うときなのかなあ、そう、今こそ勇気を使う時だし、使わない勇気は錆びついていくばかりだ、人の祈り同士がぶつかる、私には続きがない、無いと思っていた、あるから問題なんだ、誰の言うことも、社会の下す命令を聞かないでいることは、先の見えない「いま」を繰り返すことである、世界の用意したハッピーエンドを真に受けるからお前、家事のできない夫のお世話をすることになるんだ、人に支配されることになるんだぞ、ははん、自由なんてハナから求めてないってか、ハッピーエンドを通過してほしいと願うことは、祈ることは、そうも悪いこととも言えない、たとえ人を縛る呪いだったとしても、その祈りは切実に幸せを願っているのだから、そうでない在り方を示すものとして、こことは違う場所を示す存在として、その高潔さによって守られていたのは実際はわれわれの方だったのだ、でもそんなのは駄目だ、もう駄目だ、そのときはそれで良いと思っていた、けれど別種の怠慢にすぎない、虹柄のクローゼットに入っていようとクローゼットはクローゼットで、そこから出て行かない限り誰にもなんにもわかってもらえないのだ、自分は黙っていて人に気づいてもらおうだなんて甘えん坊の考えだったのだ、そういうことじゃないんだよ、君はそうやって人が浸かっている場所をぬるま湯だと気づかせることが人の苦しみを軽くするわざだと思っているのかもしれないが、比べたって苦しいものは苦しい、ヘッドホンが片方しか聞こえなくて、ほぼ無意識にプラグの根本をつまむ、いいかんじに触れれば音像がぱっと広がって、それでこれがもう少し使えるとわかる。


2018年ぐらいに書いてて永遠に書きかけだった小説を供養します

売りたくなかったギターのこと

ワープアだった頃がある。 夢を追っていたと言えば聞こえはいいけれど、単に働くのが下手すぎるだけだったし、そもそも夢なんて追ってなかった。

金目の物を探して部屋を漁っていた。本当に最悪の気分だった。自分で自分の部屋を漁ることがこんなにも不愉快だとは思わなかったし、こんなことをするぐらいなら死んだほうがまだマシだったかもしれない。けれど、このままでは家賃も払えなかったのだ。

当然ながら自分の部屋に大したものはない。

本棚の本には絶対に手をつけたくなかった。二束三文なことはわかっていた上に、自分の一部になっていたほど大事なものだったから。でも、売った。

大学に入ったときに買ってから、ずっと大事にしていたギターがあった。マトモに弾けなんてしなかったけれど、どれだけのつらい瞬間を救ってくれただろうか。赤いテレキャスター、本当にかわいいやつ。でも、それも売った。すごく大事なものだったけど、大した値段にはならなかった。

パソコンまでは売らなかった。もちろん大した値段にはならない。だけどこれを売ると本当にどこにも行けなくなることぐらいはわかっていた。

毛玉だらけのユニクロの服に値段がつかないことは知っていた。

他に売れるものはなかった。

かなり寂しくなった部屋に寝そべって蛍光灯を眺め、やっぱり空腹だった。家賃はギリギリ払えそうだったけれど、食費の分が足りなかった。

お金は借りたくなかった。でもどうしようもない。誰かに土下座はしなければならなかった。けれど返すアテのない金を貸してくれるやつが居るわけもない。こんな生活が続けられるわけもない。そもそももう売れるものもなかったのだし。

このまま自分は蛍光灯の光を目に焼き付けたまま死ぬんだろうかと考えて、考えた。時間が1秒ずつ流れて、まだひとつ売れるものがあることに気がついた。

それは自分だった。

自分はどうやらまだ死なないらしい。時間があった。そして一応立つ足と動く手とがあった。残念ながら正気に近い脳があった。働くとは、自分の時間を売ることだ。時間は自分の寿命だ。売りたくなんてなかった。でも売ることにした。金は職場に借りようと思った。蛍光灯を消すと目の奥に光が残って不愉快だった。