知性がない

なけなしの知性で生き延びていこうな

カミングアウト小説

ちょっと待ってほしい、けれど、待ち続けた結果がこれじゃないのか、友人たちには笑いながら話すようなことだが、本当に笑える話なのか、いや、呼び出したのは私だ、けれどもこれは困る、困っている、落ち着け、深呼吸をしよう、吸って、吐いて、吸う、タバコくせえ、ええと、これからここに来るのは両親で、両親に、言いたいことが、言わなければならないことが、ある、あるから、呼び出した、実家の近くのドトール、ここはいい場所だ、勉強によし、お茶によし、打ち明け話にもよし、素晴らしい、まだ時間はある、じっくり作戦を考えよう、打ち明けたいことといっても大したことはない、友達にはオープンだ、ネタにだってする、なのに親にだけ隠している、これは親に失礼ではないか、ならどうすればいいか、簡単だ、シャッと言ってゲラゲラ笑ってそれでまた人生を続ければいい、簡単なことだ、いけるいける、渾身のネタを考えてそれで受けをとればいいんだ、これからの四十分間はネタを考えることに費やせばよい、待て、待てよ、私の親はショックを受けるかもしれない、そうなればもう笑うどころではないだろうな、母は薄々気づいている、からまだ良い、笑ったフリはしてくれる、として、問題は父だ、父は孫を待望している!年々その声の悲壮さが濃くなっているのは気のせいではないだろう、本人は全然気にしてないフリをしている、孫をつくるにはタイムリミットがある、下準備だっているだろう、たったひとりでは生殖ができないのだから、私がやらなければ私はいずれできなくなる、悲愴になるのは仕方がないことだろう、父はその気持を隠そうとはしている、しかしバレバレだ、滲み出て来るあれはフリではない、娘二人がひとり立ちして寂しがっている、たとえ私のことを理解しなくとも、愛してくれているのだから、確かに父の世界観は保守的だ、子供を作ることが人生の幸せだと思っているだろうし、きっと父は子供が居る人生を幸せだと思っていただろう、そんな父が私の”幸せ”を望むことをどうして否定できようか、父は人生を懸けて娘二人を養う人生をやった、母だってそうだ、私に孫をつくる気がないと知ったらどうだろう、悲しむだろうか、人生を否定されたような気になるかもしれない、私だって人の人生を否定する趣味はない、本当はやりたくない、けれど孫プロジェクトに気づかないふりをしながら生活をヌルヌルと続けていることが、母や父の人生への裏切りでなければ一体なんなのだろう、時代は変わった、そう言うのは簡単だ、同性と付き合っていることを恥じるほど上等でホモフォブな自我なんてとうに捨ててしまった、別に誇ることでも恥じることでもないのだ、ただそう生きているだけなのだから、悩むことはない、けれども、理解はしないだろうな、傷つくかもしれない、人生に対する裏切りだと思うかもしれない、きっと気に病む、父を傷つけるのは私の望むところではない、母も傷つくかもしれない、私はこの歳にして両親を傷つけるのか、だめだなあ、やっぱりやめときたい、言いたくない、この会をただの談笑として終えたい、終えたいが、そんなのは先延ばしだ、どうせ両親の望む孫は生まれて来ない、親は老いる、私も老いる、孫は諦めてほしい、無理だ、血を絶やす気か、うるさい、大した血でもないだろう、すでに人生が続いてしまっているのだから、むしろ黙っていても言っても同じなのかもしれない、けれど私にその意思がないとはっきり言わないことは、親にむだな希望を抱かせ続け先延ばしをし続けその死のときまですがらせ続け、嘗めているのが甘い毒だとわかっていながらそれをやめさせないのは、一時的に傷を負わせるよりよほど残酷なことなのではないか、孫がいなければ老後はさぞ退屈だろう、早いとこ他の楽しいことを見つけてもらわなければ、なんせ共通の話題がなさすぎて孫のことぐらいしか話すことがないのだろうから、たのしい新しい生活もこの私の一言から始まる、さあ、ああ、けれどな、隠している気もないのに気づかずに孫を待望するのは、親の怠慢なのではないか? 私がこれまでに打ち明けようと思ったことは一度や二度ではない、しかし私とて突然ナイフを突きつけるようなことはしない、なるべくささいなことから始めて驚きを少なくするよう努力してきた、願わくば勝手にバレていてくれないかとそんなことを考えた、かつて私はパレードに行ったことがある、行っただけだ、行進があって、渋谷の真ん中を通る、そこで歩いて、カレーの屋台を冷やかして、あの公園にはふしぎな空気が漂っていて、だれと肩を組んで歩いたっていい気がしたんだ、千海、千海とはなぜ仲がいいのかはわからない、毎年パレードの季節に連絡が来て、毎年一緒に歩いているパレード仲間だ、歩いて、話す、よく話す、話題はいつも発狂した小説か発狂しかけの小説についてから始まる、なぜ小説家は発狂しないのか、既にしているからこそあれだけたくさんの文字を書くのではないか、などと延々、一昨年私は人生に少しばかり困難を感じ、このままでは死んでしまうのではないかと実家に引きこもっていたのだが、千海からは連絡が来た、やはり今年もパレードを歩こうと思う、君はどうだ、とそう言っていた、私は2日ぐらいその連絡を放置してしまっていて、それを今でも申し訳なく思っている、千海は気にしていないといいなと思うがそんなのは願望だ、願望と実際を混同してはいけないと頭ではわかっている、私は迷った末に、謝り、断る旨を伝えた、ごめん、今年はちょっと脳が悪いんだ、しかし千海はよくわかっていた、私の脳が悪いことは風のうわさで聞いていたと言う、わかっていて聞いたのか、どういうことなんだ、脳が悪いやつと遊びたいだなんて、介護になるぞ、私は楽しく喋れるときに楽しく喋りたかっただけなんだ、千海は私のことを気に入っているのだろうなあと思う程度には私はさびしさに頭が侵されていて、そのさびしさによって判断力を失うことをかつてつよく戒めたのも千海だった、なんでもラブに結びつけるのは発想の貧困で、短絡的なのは私の悪い癖なのだ、千海はパレード仲間として私を見ているし、私も愛すべき友人として千海の連絡を楽しみにしていた、色ボケしている私を気持ち悪い、脳に蛆がわいているんじゃないか、と言ったのも千海で、それはちょっとラディカルだなと思いながらも、人生のひとつのスタンスとして誇り高いものを感じていた、高潔な存在は守らなければならない、脳が壊れている私は千海にとって有害なのではないか、有象無象のパレードの中、誰もが友達になるような場所は、誰もがなれなれしく誰もを傷つけることがある、そんな場所で私は千海のことを守りきれないのではないか、私は私で千海のことを守っている気がしていたのだ、連絡をされて私は嬉しかった、けれど今回は駄目だ、私がゲンナリしすぎている、そんな奴と歩いたって仕方がない、そっとしておくのが得策だ、第一元気が無いやつは喋らないんだ、喋らない人間と歩くのは気まずいぞ、千海から続報が来た、実は私も体調が悪い、なんだよ気が合うな! そんなわけで千海はいいやつだ、結局パレードには行った、初対面の馬場と意気投合し、肩を組んで喫煙所でむせていたときも、千海はおろかだなあ、と本気で心配してくれた、それを優しさとして私は受け取った、悪い気はしなかった、そんなこともあって気が大きくなっていたのだろう、私は実家に帰宅し、リビングにパレードのパンフレットを置いた、いけると思っていた、たとえ拒絶されてもこの晩なら大丈夫だと、本当にそう思っていたんだよ、けれどどうだ、誰からも何も言及されない、そりゃそうだ、行っただけ、置いただけ、それで終わりだ、できればバレバレでいたかった、けどそんなのはっきり言う踏ん切りがつかないだけだ、気が大きくなっても勇気がなければ同じだ、置いていっただけ、できれば儀式じみたカミングアウトなんてしたくなくて、その必要がなくなればいいと願っただけだ、そんなのは勇気でもなんでもない、みんななんにもできなくてそのまま死ぬんだ、人生の参加賞みたいなもんだ、死を頂いてさようなら、わかってもらえなかった悲しみに呑まれて中途半端な勇気で部分点を貰おうとしただけ、そんなのはけちくさい、つまらない、やはりきちんと言うべきなのだ、悲しみの予感に怯えているだけでは何もしたことにならない、大石の勇気をいまこそ見習うべきなのではないか、大石は私と喋りながら水をこぼした、勢いでカミングアウトしたという、こういうのはね、躁でもないと、できないよ、ほら、手術だってさ、日程決めたら麻酔してシュバーって切るじゃん、いやー、君って躁あったっけ? 躁ないよ、そうか!ダジャレ大王か?元気だね今日、王!家父長制!権威!権威主義にはNO!王とか言うな!女王も王に女ってつけてるあたり性差別を感じさせるから駄目! 大石は笑いながら水をこぼし、水が広がってテーブルから滴り落ちてもまだ笑っていた、膝濡れちゃった!水が!水も滴るいい女!女とか言うな!性別とか嘘だから!女性性などない! 本当にそう思うよ、そう思うから拭いて、わかるよ、社会も嘘だしさ、でも社会に振り回されてるしさ、あ、すみません、ナプキンください、水が、あ、すみません、ううーこの前さ、クソ野郎が居てさ、自分のことフェミニストだと紹介したらさ、あ、私はフェミニストなんだけど、前提知識だね、クソ野郎にフェミニストって子どもがキャベツ畑で見つかると思ってる人たちのこと?って言われたからさ、うるせえ!人類みんな受精卵から生まれた受精卵太郎だよ!てさ、泣きながら言っちゃったよ、悲しい!、君は勇敢で機転も効くからすごいな、勇敢?勇敢さある?、うーん、あるんだろうか、勇敢とかある?、あるよお!勇敢は嘘じゃないから!、今こそ勇気を使うときなのかなあ、そう、今こそ勇気を使う時だし、使わない勇気は錆びついていくばかりだ、人の祈り同士がぶつかる、私には続きがない、無いと思っていた、あるから問題なんだ、誰の言うことも、社会の下す命令を聞かないでいることは、先の見えない「いま」を繰り返すことである、世界の用意したハッピーエンドを真に受けるからお前、家事のできない夫のお世話をすることになるんだ、人に支配されることになるんだぞ、ははん、自由なんてハナから求めてないってか、ハッピーエンドを通過してほしいと願うことは、祈ることは、そうも悪いこととも言えない、たとえ人を縛る呪いだったとしても、その祈りは切実に幸せを願っているのだから、そうでない在り方を示すものとして、こことは違う場所を示す存在として、その高潔さによって守られていたのは実際はわれわれの方だったのだ、でもそんなのは駄目だ、もう駄目だ、そのときはそれで良いと思っていた、けれど別種の怠慢にすぎない、虹柄のクローゼットに入っていようとクローゼットはクローゼットで、そこから出て行かない限り誰にもなんにもわかってもらえないのだ、自分は黙っていて人に気づいてもらおうだなんて甘えん坊の考えだったのだ、そういうことじゃないんだよ、君はそうやって人が浸かっている場所をぬるま湯だと気づかせることが人の苦しみを軽くするわざだと思っているのかもしれないが、比べたって苦しいものは苦しい、ヘッドホンが片方しか聞こえなくて、ほぼ無意識にプラグの根本をつまむ、いいかんじに触れれば音像がぱっと広がって、それでこれがもう少し使えるとわかる。


2018年ぐらいに書いてて永遠に書きかけだった小説を供養します