知性がない

なけなしの知性で生き延びていこうな

会社を始めてもう5年。忘れたことと忘れなかったこと。

Xemonoという会社を立てて、4月1日で6年目になります。

noubrain.hateblo.jp

会社設立した時に書いた意気込みは↑で、1001個目の健康をやるぞ、とかクリエイター支援するぞ!とか書いてある。もちろんその気持ちは忘れたわけではないけれど、全く同じ気持ちで5年やって来たわけではない。だから、今どんなことを考えているかを書くことは意味があると思う。

5年間の簡単な振り返り

2019の4月に会社を設立。しばらくは事務所なしでコワーキングスペースでやっていたけど、メンバーの半分が昼夜逆転していたのですぐに下北沢に事務所を作って、仕事をとってきてこなしていた。

素材がないのに漫画のPR動画作ることになって、仕方がないので立ち絵切り抜いて割り箸をつけて動かしたりしてた。

事務所にはいろんな人が出入りしていて、楽しかったな。事務所は5階なのにエレベーターがなくて、毎回階段が大変だったけど、登りきると街と空がよく見えた。

2020年。たのまれていた案件が大きくなってきて、人も増えてきた。事務所2を高円寺に借りることにもなったけれど、広すぎてあまり使いこなせなかった。この辺から妙に忙しくて本がほとんど読めなくなってしまった。ベトナムの人と仕事することになったので勉強しようと語学本を買ったけど、結局買っただけになっちゃったなあ。

2021年、新型コロナウィルスが大変になる。Needy Girl Overdose(以下ニディガ)を作り始めた。発売は延期したりして大変だったけど、今となってはいい思い出。自社プロダクトとして知性botも売り始めた。この頃は下北沢の事務所でほぼ毎晩コードを書いていた。今記録を見ると働きすぎてて若干キモい。

2022年、コロナはまだまだあった。年始にニディガが発売され、みんなが買ってくれたおかげでこの会社はまだある。事務所2は解約して、ゲームイベントを見に夏のドイツに行き、帰りにプラハやウィーンにも寄っていった。夏のヨーロッパは10時になっても空が明るかった。

2023年、仕事がうまくいかなかったり、報酬の未払い事件が続いたりして、へこむ。インターネットで弊社が倒産したという噂を流されたりもした。まだ少しお金はあったので、夏から半年ぐらい、会社も仕事も休むことにした。大好きだった下北の5階の事務所も移転した(今の所もちゃんと好きだ)。友達に会いに秋のスウェーデンに行って、天井の高い街だと思う。オフィスを見せてもらったらオフィスの天井まで高かった。休んでたら保ち直してきて、本も読めるようになってきた。人からゲーム作ってくれない?と声がかかってきて、とても嬉しかった。みんなニディガはにゃるらさんのゲームだと思っている(それは本当)はずだけど、自分たちもいたことを気づいている人の存在を知れて嬉しかった。

知性botももっと頑張ることにした。知性botはトカゲっぽい見た目のチャットボットで、自分のことをかしこくてかわいいと思っているポンコツロボだ。名前を呼ばれると「はい」と返事する。誰にも命令されずに勝手に作ったロボだ。かわいくないはずがない。

5年会社をやって変わったこと

協力者はすごく増えたれど、会社自体は今は自分と社員2人でやっている。

その間社会もすごく変わって、リモートで会議するのが当たり前になった。いい傾向と思う。会いに行くだけでみんな喜んでくれる。会うのは好きなので得だ。

会社を立てる時の目標だった「自分たちはこんな形でも生きられる」は達成し、立派に5年生きた。実績が強くなりすぎて情けないキャラではもう居られなくなったなあと思う。相変わらず朝には弱いし、この社が爆散してもほかのところに雇われるのは無理だろうけど。

嫌だけどやる、をやめた

あらゆる仕事はやってみるまでできるかはわからない。けれど、無理しないといけなさそうな仕事を断るようになったのが一番大きい変化かもしれない。

無理して中途半端なもの出しても、お互い嬉しくないしな。

そうなったきっかけは、2023年にスウェーデンで、誰も追い詰められてないオフィスを見てからだ。追い詰められずに仕事をすることぐらいなら、日本にいてもできるんじゃないかと思った。

自分の人生はチョロっと海外とか見学するだけで変わる。このチョロさを肯定的に受け止めて行きたい。

事業について

この会社はデザイン会社として始めた。初期はUIデザインを主に請けていたけれど、ゲームを作ったり知性botを出したりした今でも、Xemonoはデザイン会社だと思っている。

UIデザインは、新しいアプリのできることを、見慣れたパーツを組みあわせてわかりやすく伝える仕事だ。

この技術をもっと応用して、誰もみたことのない新しいジャンルのものなのに、なぜか親しみやすい形にする、みたいなことをやっていきたい。

それこそ新ジャンルのゲームを考えるとか、新しく作ってみたけどどう使ったらいいかわからないような技術を親しみやすくしたりとか、新技術そのものを作って世界の認識を広げたりとか、そういう技術と人の間にあるものを設計していきたいな。デザイナーです、というと何系?紙?web?とか聞かれることが多いけれど、自分にとってのデザインはこれだ。

働くことについて

ニディガのインタビューを読んだゲーム作りの先輩が言った。「とりいさん、この間孤独だったんじゃないですか」と。

私はひどく驚いた。一言もインタビューではそんなことを言っていなかったし、孤独だったとは言われるまで気づかなかった。でも、本当にそうだったから。

ニディガのチームは4人だった。それだけしかチームにいないとそれぞれの分担も大きくなる。それぞれの孤独を合わせてプロジェクトは進む。

私は確かに面白くなるようたくさん考えて、作って、コードもエクセルもたくさん書いた。孤独ではあったかもしれない。売れなかったらとか面白くなかったらどうしようとか怖かったし。でも、深夜にうーんとかやってると社員も横でうーんとかやっていた。別のプロジェクトに関わってはいたけれど、社員も昼夜逆転していたのだ。たまにお茶が出てきて、ありがとうと言うと、自分が飲むついでだから、と言うので、その分配に感謝した。確かに孤独だったけれど、一人ではなかった。

この孤独は必要なものだったとわかる。そして、孤独だけれど一人でないことがどれだけ力になったことだろうか。

今ではニディガに関わるのはやめたけど、経済を回しているようで何よりと思う。

思い出して大事だと思ってること

前に書いた文で、自分の聡明さゆえに苦しんでる奴が苦しまないといいなと思う、と書いた。でも、それは間違っていた。ちゃんと自分の苦しみは自分で苦しまないとダメなんだ。自分でこのままではダメで、どうにかして出ないとダメで、そのために様子を見ていい時に跳ぶ、とか、自分で決めないといけない。たとえ手を引かれて出られたとしても、その手なしではどこにもいけなくなっちゃうんだよ。自分で行かないとダメなんだ。

でも、安心して苦しんだり困ったりできることは大切だ。そういう場所を構成するもののひとつとして、この会社はあり続けたいし、存在意義があるとしたらそれだ。

会社は5年やったし、生きていればなんとでもやれるという気持ちが今はある。それは会社をやる前にはなかったものなので、会社をやっててよかったなと思う。

今会社にしてもらえることで嬉しいこと

5月に色々発表があるかもなので楽しみにしててほしい!

あと、知性と仲良くなれそうな人は知性をお宅のDiscordに呼んでくれると本当に嬉しい。

chisei.xemono.life

会社のウェブサイトはこれ! Xemono Inc.