マリオは跳んでるだけで面白い——人生のUXをサイコーにする
この記事は「虚無とたたかう」アドベントカレンダー6日目の記事です。
今日はマリオの話をする。
マリオに虚無はあるか?
マリオに虚無はあるだろうか。
たぶん、ない。少なくとも、我々のような虚無はもたない。
なぜなら戦う相手が居て、探検すべき道があり、そしてよく跳ねるからだ。
そもそもマリオはジャンプするだけで面白い音が出るんだ。そんなおじさんに虚無なんてあると思うか。眠れない夜が、洗えない皿が、無力が、焦りが、あると思うか。
マリオはすごい
マリオはゲーム界に最高のUX(ユーザーエクスペリメンス)をもたらした。
なぜあんな小太りのヒゲオヤジがこんなに愛されているのか。
あれは、あのジャンプと変な音が愛されているのだ。マリオ自体に愛着を感じるのは難しくとも、マリオを通して味わうあの世界との感触は愛するに足りる。
我々は犬にはなれない(前の記事参照)。マリオのように跳ぶこともできない。
しかしマリオのやり方で虚無とたたかうことはできる。
マリオのゲームはやたらテンポがいい。調整され抜いている。
マリオを楽しく遊ぶ時、ここにテンポという音楽用語が使われるのは偶然ではない。
我々は愉快であるとき、そこには何らかのリズムがあり、音楽ができているからだ。
音楽となれ!
ナワバリを示す太鼓の音、遠くの仲間の遠吠え、求愛のさえずり。音楽は生存には欠かせない。
音のない音楽もありうる。
一定のパターン、リズム、クールな繰り返し。ドゥルーズはリトルネロとか言ったけどそんなもんだ。
マリオは変な音を出しながら跳ぶことで世界を音楽に変えた。我々もそうできる。皿を洗おう、音楽家なら簡単なことだ。洗って置いて流しての繰り返しに音楽を見出そう。世界を手触りの良いものに作り変えて、楽しく生存できたらこっちのもんだ。生活をやるんだ。毎日似たような時間に起きて似たような時間に寝るんだ。飯もなるべく食べよう。
不安や虚無とたたかう最も強い武器は、自らの生をひとつの音楽にすることだ。
人生のユーザーエクスペリエンスをサイコーにしろ。
歌えなくても音楽はできる、マリオのように世界と触れあえ。虚無自体はなくせなくとも、それでたたかうことはできる。
今日の話を書いていたらこの本を思い出した。読んでいる間は退屈を忘れられる本です。
次回の「虚無とたたかう」アドベントカレンダーは、「詩人の解像度で抵抗する」です。お楽しみに。
2017/12/10 予定と変わりましたが書きました