知性がない

なけなしの知性で生き延びていこうな

4年目を迎えられそうな会社の経営者が心に刻んでる言葉

生き延びるために小さい会社をやろう、と株式会社Xemonoを立てて、次の4月で4年目になります。ここまでやっていけたのは周りの人や取引先の方々のおかげです。本当にありがとうございます。

3年間いろんなことがありました。いろんなこと、としか言えないのが歯がゆい、言えないことの方が多くて、でも経営者ってそういうものなので仕方ない。

周囲も状況も変わるし、自分の考え方も起業したてと今とは違う、5年後はもっと違うかもしれない。ということは今しか言えないことがある!

ということで、これから起業してみたい人や経営始めたての人、そして全ての気持ちを忘れてしまうかもしれない5年後の自分のため、3年間会社を続けられた中で心に刻んでた言葉を紹介します。


「そこで日和るな」(社訓)

デザインについて本を書いてください、と依頼が来て私が怯えていたときに以前副社長をやってくれていた人に言われた。怯えていたのは何が起こるかわからないことに踏み出すのが怖かったからだ。でも「起業までした奴がなにを今更怯えているんだ、そこで日和るな」と言われ、正気に返ることができた。日和らない、とても大事なことだ。今もオフィスの一番高いところに「日和らない」と掲げてある。定期的に思い出さないといけないことだと思ったから。

大抵のものはきちんと計算して見積もって、最高と最悪を予想していれば怖さは減る。いちばん良くないのは仮説も立てずに怯えて何もしないことだから、最初にきちんと向き合うのが大事で、勇気はそこで使うものだ。計算外のことが起こったら撤退するか死ぬ気で頑張るしかないんだけど、でもまあ計算甘くてもどっちかだから。死も屈辱も最悪の事態ではなく、最悪を回避する方法さえ想定してれば飛び込むのは蛮勇ではない。

(ゴミ箱にも貼ってある 社訓だから)

「このプランは92歳まで生きたら得します」(保険屋)

なんとなく30歳までに死ぬって思ってる奴って居るじゃないですか。私(31歳)のことなんですが…

経営者ともなると保険とか入ることもあるんですが、保険屋ってすごく怖いことを平気で言うし怖い。死亡とか入院とかすぐ言う! でもなにより怖いのは年齢のことを意味不明の未来じゃなくて増えていく数字だと思っているところです。

保険屋が出してきた表には30から100まで増えていく数字が書いてあって、これがあなたの年齢です、と言いました。そこには30で死ぬとか40でめちゃくちゃつらい思いをする!とかは書いてなくて、ただ1ずつ増えていく数字が並んで、どの数字のときにどのぐらい得するかが書いてありました。

私は生きてるだけで得をするゾーンがあるなんてその表を見るまで知らなかったし、なんとなく恐ろしく煩わしいものだと思っていた未来は小さい字の表1枚で想像力の範疇に収められてしまった。

人間の年齢ぐらいの数って並べたら並ぶし、並んでたらあんまり怖くないかもしれない。未来の怖いところって見えないというところだし。

なのでいまでは怖いって思ったら小さいのを並べてみることにしています

並んでると、怖くないからね。

「有限の仕事って有限時間で終わるから……」(とりい)

ある人に「なんでニディガ作れたん?」って聞かれて自然と出てきた言葉。それまで口に出してなかったけど、ずっと思ってたことではあったらしい。

ゲームを作り直すときは大変だった。やる必要があることを列挙したら作業が1000個以上あったのだ。途方もなく、無限にあるように思えた。でも、冷静に割り算したら一日20個やれば50日で倒せる、まあ2ヶ月ぐらいで終わる量だ。

わかった、2ヶ月は長いけど永遠ではない。やれば終わる、なら、やるだけだろう? そして出せたのがニーディーガールオーバードーズです。

 

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「有限の仕事だから、」と誰かに言うとき、いつも結構怖い。有限であっても途方もなく見えることはよくあることだし、こんな強いことを言う奴と仕事したら過労死するかも! と思われたりしたら嫌だ。けど、言う、大事なことだから。それに、他人を励ます自分の声で自分が励まされることもある。

 

最近の私です まだ生きてるね〜

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売りたくなかったギターのこと

ワープアだった頃がある。 夢を追っていたと言えば聞こえはいいけれど、単に働くのが下手すぎるだけだったし、そもそも夢なんて追ってなかった。

金目の物を探して部屋を漁っていた。本当に最悪の気分だった。自分で自分の部屋を漁ることがこんなにも不愉快だとは思わなかったし、こんなことをするぐらいなら死んだほうがまだマシだったかもしれない。けれど、このままでは家賃も払えなかったのだ。

当然ながら自分の部屋に大したものはない。

本棚の本には絶対に手をつけたくなかった。二束三文なことはわかっていた上に、自分の一部になっていたほど大事なものだったから。でも、売った。

大学に入ったときに買ってから、ずっと大事にしていたギターがあった。マトモに弾けなんてしなかったけれど、どれだけのつらい瞬間を救ってくれただろうか。赤いテレキャスター、本当にかわいいやつ。でも、それも売った。すごく大事なものだったけど、大した値段にはならなかった。

パソコンまでは売らなかった。もちろん大した値段にはならない。だけどこれを売ると本当にどこにも行けなくなることぐらいはわかっていた。

毛玉だらけのユニクロの服に値段がつかないことは知っていた。

他に売れるものはなかった。

かなり寂しくなった部屋に寝そべって蛍光灯を眺め、やっぱり空腹だった。家賃はギリギリ払えそうだったけれど、食費の分が足りなかった。

お金は借りたくなかった。でもどうしようもない。誰かに土下座はしなければならなかった。けれど返すアテのない金を貸してくれるやつが居るわけもない。こんな生活が続けられるわけもない。そもそももう売れるものもなかったのだし。

このまま自分は蛍光灯の光を目に焼き付けたまま死ぬんだろうかと考えて、考えた。時間が1秒ずつ流れて、まだひとつ売れるものがあることに気がついた。

それは自分だった。

自分はどうやらまだ死なないらしい。時間があった。そして一応立つ足と動く手とがあった。残念ながら正気に近い脳があった。働くとは、自分の時間を売ることだ。時間は自分の寿命だ。売りたくなんてなかった。でも売ることにした。金は職場に借りようと思った。蛍光灯を消すと目の奥に光が残って不愉快だった。

Xemono社のミッションステートメントを書いた

文化的生存と文化的生存の拡大

xemono社は自分たちの生存のためになんでもしてきて3年経ちました。

これからもなんでもするけど、今後は生存を拡大していきたい。
というわけで、以下のことを社のミッションにします。

マッドサイエンスによって文化的生存のための手口を作るデザイン会社をやる

 

※マッドサイエンス
ここでは会社の資本やみんなの時間を使ってたくさん実験をすることを指します
多少突飛な仮説をやったり、ありがたみとか言い出しても構いません、マッドサイエンスだから
一応サイエンスとか言ってるので、うまくいくものをうまくいく方法として確立すること、知見は惜しみなく分け合うことなどがいいこととされます

※文化的生存
したいことを金を理由に諦めなくてもいい生活ができること
財布の心配をせずに映画館に行けたり、一発逆転 or die の生活を強いられないことを指します
朝起きて時間通りに働くことができないだけで貧困生活を強いられる時代は終わりにしよう

※生存のための手口
死なないための道具や技のこと
知っていれば知っているほど生存率が上がります

※デザイン会社
 デザインとは、はまだ形になってないものを形にする行為です
 デザイナーはデザインをします
 デザイナーはよく聞きよく見ます
 デザイナーは作ったものを人に見せてもっと良くします
きちんと準備して調べて、たくさん実験をして、広い視野で自分のできる一番よいものを提供しようとする人はみんなデザイナーです
ピアニストは毎日ピアノを弾くだろうけどそのほとんどは録音されずに消える、でも録音されなかった演奏は無駄ではない。
デザイナーは仕事でゴミを作ることもあるだろうけど、それも無駄ではない。
とにかくゴミを作ることを恐れないでほしい、失敗も実験の一部なのだから。

※やる
どうせ作るなら作ったものを誰かに覚えていてほしいですよね。平均80点より謎の魅力で100万点を目指しましょう。

 

具体的にやること2022

金を稼ぐ
金があれば尊厳を売らないでできることがたくさんある、給料も遅配しない。
Steam:NEEDY GIRL OVERDOSE当たってよかったけどもう5発ぐらい当たると楽しくなってきますね。
具体的には人助け(受託とも言う)と本気で当てに行くプロダクトで頑張ります。

3ヶ月ぐらいの実験をたくさんやる
この世にはまだまだ形になるのを待っているアイデアや、言葉を奪われた困りごとがたくさんあります。
うまくいかないことを検証するのは簡単なので、とにかくざっくりと形にしてみて、人にどんどん触ってもらおう。
そうすると頑張って作ったのに割に合わず喜ばれないものとか、ついでみたいに作ったのになぜかすごく喜ばれるものとかがわかってくる。
作ったものはどんな形であれ財産になる。
ここではできれば少数派向けなものを作りたい。多数派のためのものは大企業がやればいいし。

作った物自体が誰かの文化的生存の助けになればいいし、作る事自体が自分たちを助けるようなものであればもっといい。
大企業にできないロマンや人助けを追い求めよう!!!

人を増やす
人がいれば作りたいものをたくさん作れるからね。

ひと一人でできることには限界があるし。

人が居られる場所をつくる(下北支配計画)

人間が集まれる場所にはいろんな面白いことや困りごとが集まってきます。
そういうものが新しいたのしいプロダクトを作るためのヒントになります。


そもそも会社の仕組みについて

会社は事業をやります。
事業は大きく二種類に分けられます。
新たな賭け、またはうまく行った賭けを続けること、です。

大きくなる会社は、うまく行った賭けが大きくて沢山の人を養えたり、たくさん上手くいく賭けを持っていたり、賭けの勝率を上げるための名声を多く持っていたりします。

この文で、ずっと実験をやろう、新しいものを作ろうと言っているのは、名声をぶち上げ賭けに詳しくなり、より勝てる賭けをしていくためです。賭けに勝つともっとたくさんの人に文化的生存が提供できるからね。

 

社です→xemono

新米経営者、チュートリアルが終了し本物の恐怖が襲ってきた

でけえ地震があって帰宅できなかった夜だった。
私は昼夜逆転経営者をやっているので、「呆然夜中の2時過ぎてやっと俺だ」(やさぐれカイドー / 秋山黄色)みたいな生活をしている。昼間は従業員に頼み事をし、取引先と話し、夜中は自分の仕事をすすめるのがいつものルーチンで、その日も帰れなかったというダルさはあれど、やることは同じなので普通に事務所で仕事のコードを書いていた。

前の日に真剣に金勘定をしたのが地味にのしかかっていた。思ったより金がねえ。
コード書きはそんなに難しいことはしていないけれど、疲れはするので適宜休憩を入れる。2回目の休憩のときに「それ」は襲ってきた。

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「本物の恐怖」がきた

そいつは本物の恐怖だった。
もし金がなくなってにっちもさっちも行かなくなったら、いったいどうしようか?

今更会社員に戻るなんて無理だ。会社員は午前に起こされる。午前中に起きるとメンタルがぶち壊れることははっきりしているし、人の言うことを聞く生活がもうできるとは思えない。
それに従業員たちだって困るだろうし、借金だって残るだろう。

宗教を真剣にやってない自分には、残念ながら自殺しか残ってないんじゃね?と思ったけど、かつての経験から実際死ぬなんてことは怖くて無理だとはわかっていた。

すがりてえって思った。でも、一体何に? 人生設計か?


理由がわからない謎の慣習には大体理由がある

人生設計というものを舐め腐って生きてきた(だって未来はわかんないじゃん)けれど、あれは困ったときにすがるためのやつだったんですね。本物の恐怖にそばに立たれるまでそれをわからずにいました。
自分が無駄だと思ってやらずにいたことはわりとたくさんあり、例えば履歴書なんていらねえと思ってたんだけど、一緒に働いてたら結局聞く内容が書いてあるんだよな。もらえば書類が書ける人かどうかもわかるし……。取手のないバッグを作って使ってみて取手の重要性に気づいたこともあったな……。

理由がわからないことができない性格なので、あらゆるしょうもなく見える慣習の意味も一回失敗して痛みを感じないとわからないんですよ。ちなみにキックオフミーティングをやらないで始めてみたプロジェクトが爆発して、キックオフミーティングの意味を知ったこともありました。

痛えってなるたびに死にたくなるけど、同時にいよいよ焼きが回ってきたなと思う。毎回思う。

その点ではこの歳でいっぱい焼きが回ってよかったと思うし、たとえ自分が獲得し実行している知見の全ては再発明された車輪の大回転にすぎなかったとしても、それでも何もわからないよりよっぽどいい。理解は、良いことだから。


残念ながらまた次がある

弱っていれば本物の恐怖には負けるだろう。経営者や個人事業主の目に昏い影が常に差している理由もかなりわかった。こんなんと隣合わせに生きてたらそりゃすごいことになるだろうな、自殺率とか。
けれど、次はうまくやろうと思った。そして、次があることを無意識に仮定している自分が少し面白くなった。
何度怖くなったって、次があるよ、たぶんね。

ビギナーズラックでなんとかなってた経営チュートリアルは終わって、でも次があって、そしたらそのときはまた上手くやろうとするだろう、頭だって使わないわけにはいかないだろうし。
また最初から泥臭くやっていくだけだし、手がある限り物は作れる。

「何度失敗してもまだ手は動くよ」と本物の恐怖に言ったら、本物の恐怖は「また来るよ」と離れていった。

 

 

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デザイン会社です。
ウェブ制作・アプリ画面設計・ゲーム制作・グッズ・動画・写真・ロゴあたりのアイデアから形にするまでやります
欲しい物全部言え!!!

xemono.life

 

引いた線に守られる(デザイン会社の社長業について)

今までいくつもフライヤーやウェブサイトなどのデザインを作ってきた。
けれどもはじめの一手はいつも心細い。

頭の中でどんなものを作りたいかの解像度を上げていって、それを写し取るように実現するタイプの絵描きやデザイナーは居るけれど、私はそうではない。脳が狭くてそんな芸当はできないのだ。

頭の中で風景を描くには、私の脳はあまりにも狭すぎる。口から長い文章が出てくる人のこととかどんな脳やねんと思って見ている。
ヘブライの神話にバハムートという巨大な魚が出てくるのだけど、バハムートはあまりに巨大なため、こちらに向かって泳いで来るのを見ていると、尻尾を見る頃には頭がどんなだったか忘れてしまうという。私にとっては喋るということ自体がそんな風なものに思える。
自分が喋り終える頃には、最初に何を言っていたかがわからなくなってしまうので、口から整合性のある長文が出てこないのだ。フロッピー時代並の脳のメモリである。

万事がそんな感じで、完成形の解像度を上げるのはこの狭い脳には困難過ぎる。

じゃあどうやって物事を完成まで持っていくのか。まず紙に線を引きます。

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紙は外部記憶だ。頭の中に収めきれないようなことでも、紙に線があれば次の手が考えられる。
なにか線が引いてあれば次の線のことが想像できる。次の線が引ければまた次の線も。

そうしていると、自分の引いた線に守られているんじゃないかと考える。

そして思う、人間はずっと人間の引いた線に守られてきたんじゃないかと。
道だってそうだし、土地の境界だってそうだし、法だってそうだ。
古代ギリシアではもっとも重い罪は土地と土地とを区切る境界石を動かすことだったらしい。境界石を動かした人間はホモ・サケルと呼ばれる存在にされて、法の外に置かれてしまったという。法の外に居るので殺されても奪われても誰も加害者を裁いてくれない。
法律とは世界に引かれた有罪と無罪の間の境界で、その境界を無視するものは引いた線に守られないということかもしれなかった。

線が見えてさえいればなにもないよりは遠くまでいける。
国境があればその内側では争わなくて済むし、法律がないよりはあったほうが外に出やすいし、地面に引かれた線である道の上を歩いていれば心細くはない。
もちろん線自体が実情に合わないものだったり、線自体が薄れてくればそれは引き直す必要があるけれど。

そこまで考えてこわいな、と思う。
道とか法レベルでもなく、自分のために何かデザインをするときでさえ、線なんて引かずに済めばなあと思う。線は引かれた瞬間あっち側とこっち側を決めてしまうし、人を嫌でも導いてしまうから。間違った線を引いてしまうことはどんなに恐ろしいことだろうか。

けれど人間は無の中に放り出されて耐えられるほど強くない。真っ白なキャンバスから完成形を掘り出せるほどの想像力は少なくとも私にはない。

だから、震えながら荒野に線を引く。
デザインの最初の一手を、暗い夜にたどっていく光る道を、あなたとわたしが別々であるという境界を、有限のこの手で守るべきものと見捨てざるをえないものの腑分けを。

線を引くことは秩序を制定することであり、大小あれど権力であるなあと思う。権力なんて嫌だし、泥に指を突っ込むのも嫌だけれど、いつか誰かがそれをやらなければ、誰もどこにも行けない。嫌だなと思いながら線を引く。引いた線を誰かがたどっているのに気づいて、やっぱ怖いなと思う。それでも、明日の私も嫌だなって言いながら線を引いてそうだとわかる。

 

 

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