知性がない

なけなしの知性で生き延びていこうな

異性愛者を笑えるかーー人生のレールについての考察

 この記事は「虚無とたたかう」アドベントカレンダー4日目の記事です。

 今日は人生におけるレールの話をします。

f:id:kinakobooster:20171207005009j:plain

人生というレールプレイングゲーム

 ご存知の通り人生にはレールが存在する。冠婚葬祭ってやつだ。冠は成人、婚は結婚、葬は葬式、祭は死後の祀り。

 そこにどれだけ乗ってるかで人生は評価される。いい学校に通ってるか、就職してるか、結婚は、子供は……? レールと年齢の一致度で幸せまで見積もられるわけだ。

 このレールは虚無とたたかう古くからの知恵だ。人生で役割を与えられているうちはーー母、父、子、会社員ーー誰かに必要とされているうちは、勇敢に虚無に立ち向かうことができる。

 定年後に急に人が老け込むのは、役割を免じられて人生の虚無と向き合うことになるからではないだろうか?

 与えられた役割を果たすのは虚無から逃げる最もよい方法だ。逃げるのは恥ではないし。逃げ続ければ苦しむより寿命が先に来る。

レールはクソ

 レールは乗っている人には安心を与え、同時にそこに乗らない(乗れない)人は排除することで不安を与える。いや、むしろ排除をすることで安心を作り出している。

 順調にレールに乗っていそうな人も、いつ病気や怪我で落ちるかわからないし、いつ遁走したくなるかもわからない。このレールは不安によって人を支配しているのだ。

 ついでに言うと男性異性愛者用のレールはやたらしっかりしてる割に、女性用のレールはガタガタだったりする。

 ひどいもんだなあ!

 けれど一人が腹を立てたところでレール自体を引っこ抜くことはできないし、そもそもレールなしで人は暮らせるんだろうか。それはどんな人間もたった一人で虚無とたたかうようになることだ。

レールがあるからレールに乗る。そいつを誰が責められる?

 レールは人生に対する批判能力を鈍らせるためのものではあるけれど、それでもよく考えて自ら乗るやつもいるだろう。

 たぶん人が想像する以上に、「戦略的に異性愛者をやっている」人は多い。虚無とたたかうためにそうしている。周囲の圧力のためにそうしていたり、自らの人生の不安とたたかうためにそうしていたりする。そんな奴を笑えるか、虚無とたたかうよすがであるレールを奪えるのか。

 こういう人が最もレール自体を変えることには厳しい。無理強いされた選択肢にしろ、選びとってそうしたんだから。そりゃレールのこと守るよ。

 私はそういうやつを笑えないし、レール無しで人が虚無に耐えられるとは思えない。

複数のレール、たった一人でないわれわれ

 ただいい話があって、このレールは絶対的なものではないということだ。ある制度の中にいると、ただ一つの正しい制度があるように錯覚してしまうけど、世界や歴史を見れば無数の制度、無数のレールが存在することがわかる。

 だからまだマシなレールのためにやって行くことも不可能ではなく、野望のあるひとは好きに虚無とたたかえる。必要なのはたった一人で虚無に立ち向かうことでなく、ついでに誰かの新しい轍になることだ。

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 今回の記事はこれを意識しつつ書きました。

 私たちが持っている、そうした幸せのイメージは、ときとして、いろいろなかたちで、それが得られない人びとへの暴力となる。たとえば、それを信じたせいで、そこから道が外れてしまったときには、もう対処できないほど手遅れになっていることがある。

 しかし、それとは別に、もっと単純に、そうしたイメージ自体がひとを傷つけることがある(岸政彦『断片的なものの社会学』108ページ)

 次回の「虚無とたたかう」アドベントカレンダーは「健常というチープな祈り」を予定しています。話が重くなってきたので次回こそ適当に笑える感じにしたい。

2017/12/08 書きました

noubrain.hateblo.jp

5000兆円もらってもまだつらい

 ​これは「虚無とたたかう」アドベントカレンダー3日目の記事です。

 今日は「人生のつらさを生み出すもの」という虚無の側面について考える。もし5000兆円もらったら、虚無に構う気なんてなくなるだろうか?

5000兆円さえあれば

 うつ状態の人にお金を渡すと、うつが軽減するという研究がある。

Money and Mental Illness: A Study of the Relationship Between Poverty and Serious Psychological Problems

 この研究は実感に近い。金がないとつらい。お金はサービスやものと交換できる。お金があれば大抵の夢が叶えられる。院にも行けるし海外にも行ける。

 虚無とたたかう最も手早い方法は、安定した収入を得ることだ。5000兆円あれば大抵の虚無は追い払える。

 あくせく働かなくてよくなれば好きな映画を観に行くのにためらうこともなく、絵の勉強だってできるし、家族も養える。夢を叶える手段としてそうできる。

 満たされない欲望に苦しめられることなんてほとんどなくなるだろう。あとは好きなだけ人間関係をやる、もしくはやらないでいればよい。

 5000兆円もらうと良くなる虚無は、意欲はあれどそれを果たす手段が欠如しているタイプの虚無だといえる。満たされない欲望が、諦めが、反転して虚無を生んでいるわけだ。

5000兆円もらっても

 けれどそういう虚無だけではない。5000兆円もらってもつらい虚無もある。

 精神に損傷を負うと人の意欲は減退してしまう。

 手段としての金を与えられても目的を発生させられなければ無力である。

 うつ状態になると大体全てがつらいわけで、そこで人はある問いを立てることになる。

 深すぎる苦しみの中で、「この世界は、自己は、生きるに値するのか?」と。

 この疑いは人に虚無の深淵を覗かせる。逆向きにトゲのついた針のようなもので、一度飲み込むとなかなか抜けだせない。どんな答えも根拠に欠ける。なぜならこの疑いのループを止めるにはそれ自体を根拠とする答えが必要であるから(人はそれを信仰と呼ぶ)。

 前の記事でも軽く触れたが、この虚無は言語によって生まれたものだ。なので、言語による思考能力を落とせばつらさは軽減する。だから人は精神薬を服むし、労働が推奨される。

 これがより本質的な虚無だから残るというわけではない。ただ別の虚無として、5000兆円もらっても消えない虚無として存在する。

まとめ

 ここでは5000兆円を使って虚無を二つに分けることができた。果たされない意欲が反転して生まれる虚無と、意欲自体が損傷して向き合う深淵としての虚無と。

 もちろんこの二つははっきり分けられるものではなく、うつ状態になると両方の虚無に苦しめられることになるだろう。意欲が減退しているのだからやらなければならないことをすることもできず、そのために自分の価値を疑い始める。そうすればまた意欲も減退する、と。虚無ループだ。抜けるには長い時間がかかる。

 次回の「虚無とたたかう」アドベントカレンダーは、「人生のレールに乗ることを選んだ人々ーー異性愛者を誰が笑えるか?」です。虚無とのたたかいが実際に行われている様子を検討します。

2017/12/07

書きました

noubrain.hateblo.jp

未来を理解しない犬、時制の理解ゆえに虚無と直面する人間

 これは「虚無とたたかう」アドベントカレンダー2日目の記事です。

 

 今日は犬と人間を比較することで、虚無について考えてみたい。

 

 犬には果たして虚無はあるだろうか?不安に眠れぬ夜は、焦りは、徒労は。


 これから書くのは実家で犬と暮らしていた経験をもとにしたことだ。だから、ここで言及する犬という生き物は、飼われて可愛がられている犬のことであることも断っておかなければならない。

 

f:id:kinakobooster:20171204203932j:plain

 

 実家の犬のことを考えようとすると、いつも嬉しそうに走っている姿を思い浮かべてしまう。足をよく伸ばしてうきうきと走る。足がみな跳ねて、ぽっかりと浮いているような写真すら撮れる。

 

 犬はそこにあるもののためにしか走らない。痩せるためとか肩こり解消とか、ある企みのために走ろうとは考えない。そこにボールがあるから、綱が解かれたから、走りたいから、走る。もちろん野生の犬は狩りをするだろうし、怯えて逃げることもある。けれども目の前の敵や獲物のためにしか走ることはない、犬は走るために走る。その充溢。

 

 どうしてこんなにも力強く生をやれるのか。

 

 犬は未来を理解しないからだ。

 

 人の感情や言語を理解し共感までする犬だが、約束はできない。将来の夢や展望はない。それが良いとか悪いとかではなく、ただ、ない。だから犬には虚無は、焦りは、徒労は、ない。時間を線で生きているのではなく、ただ瞬間と次の瞬間、点の時間だけを生きている。

 

 待てをしている間でも待たされている瞬間が続いているだけで、犬はオヤツをもらえると信じて真剣に待っている。お気に入りの物を隠すことはあってもそれは今ではないだけの「あとで」のためである。犬にスケジュールはない。だから犬は何もしていない時も焦らない。願望がないから虚無もない。だから人とは喧嘩しない。

 

 私の実家の犬はよく喋る犬で、人が近づくといつも静かに唸り声を上げて話しかける。何を言っているのかはわからないが、何を言いたいのかは大体わかる。「そうだね」と返すとまたぷうと唸る。

 

 この犬の言語に時制はない。逆に言うと、ヒトは言語によって時制を獲得し、人間になった。言語によって未来を理解し、計画や願望によってそれを手繰り寄せられるようになった。(定住と農耕は高度な計画性を要する)けれどもその力は同時に、人々に不安や焦りをもたらすものだった。言語を得た人間は虚無とまで契約してしまった。そして今更手放すには言語を愛おしく思いすぎている。

 

 犬の充溢から見習えることは数多い。ただ瞬間を生きることは美しく、虚無だって感じずに済む。けれど、人がもう犬になれないこともまた本当のことだ。

 

 次回の「虚無とたたかう」アドベントカレンダーは「5000兆円もらってもまだつらい」を予定しています。

 

 2017/12/05追記: 書きました

noubrain.hateblo.jp

「虚無とたたかう」アドベントカレンダー始めます

 これは「虚無とたたかう」アドベントカレンダー1日目の記事です。

 これからクリスマスまで毎日記事を上げることを目標としている。(ので気に入ったら応援してください)。

f:id:kinakobooster:20171203233656j:plain

 どうしたって人生はしんどいことが多く、それでもつらくない生があり得るのではないかとまだ生きている。

 人生がつらい要因はいろいろあるが、ここでは虚無に注目してみたい。

 どうですか、虚無、ありますか。

 ここで虚無と呼ぶのは、充実している(ように見える)人とひきくらべて自己をディグったのに何も出なかったときの暗澹、人間が安心して眠ることを妨げる「今日も何もできなかった」という焦り、誰かと話しても上手く楽しくならなかったときの無力、自分は自分のやるべきことを見つけられないまま人生を終えるんだろうなという諦め、全てが無駄なのではないかとの徒労、などを指す。

 虚無の源泉はいくらでもある。虚無自体をなくすことはできない。必要なのは虚無でなくなることではなく虚無を感じさせてしまう何かに抵抗することだ。

 このカレンダーでは虚無とたたかうことについて考えていく。

 テーマは以下を予定している。

 2017/12/26 書き終えました。★がついているものがおすすめです

せっかく作ったtodoリストが直視できなくなる人へ

忙しい人のためのまとめ

  • やることが多い中、集中しても安全な環境を作るためにtodoリストは使える。

  • 経験上、スケジュールと組み合わせるとうまくいくことが多い。

  • 見るのが怖くなったら捨てちまえ

前提

ここで言うtodoリストは、多大にGTD(Getting Things Done)という手法の影響を受けている。

やることややりたいことをすべて書き出し、タスクを五分で終わるサイズまで細分化するという手法だ。

恐怖のtodoリスト!

todoリストのことは好きだ。 書いただけで実際に何かやっているような気にもなるし、やりたいことに向けて何か進んでいるように見える。

世界は1割の本当にやりたいことと9割のそれにくっついてくるこまごました雑務でできている。人間はなんにせよやりたくないことをやる羽目になる、納税とか年金の支払いとか。

大きいやりたくないことを小さいやりたくないことに変えればまだ立ち向かえそうな気がする。年金の書類を出す、なんてのはだるくてやってらんないけど、封筒を開けるだけ、印鑑を用意するだけ、押すだけ、ほら、できそう!

Todoリストを使うのはそういう雑務を倒すにはよさそうではある。

けどな、うっかりするとこういうリストってやらないといけないこと、つまりはやりたくないことばかりが書いてあるリストになってしまう。そんなリストって見たいか?

私は全然見たくない。

大体二日放置するともうだめ、やることリストはやってないことリストになり、定期的に露払いをしなければ、見るに耐えないものになるだろう。やりたいことをやりたくて作ったはずのリストが見ることすら辛いものになってしまう。

この問題点を考えるためには、人々が何のためにtodoリストを作るのかに立ち戻る必要がある。

なぜやりたい事を全て書き出すか。

それはあらゆる気にすべきことを頭から追い出し、好きなことに集中するためではなかったか?

タスクを細分化するのは、始めるハードルを下げるためではなかったか。

気にすることを減らして、安全になるために作る

人が集中できる条件のうち、最も重要なのが、安全であるということだ。

スクランブル交差点の真ん中で読書できるかというとできないし、採用可否の電話を待ちながら授業が受けられるかというと、だいたい無理。できる人は特殊能力者なので讃えよう。

何かをするには、うっかり没頭しても安全な場所でしかできない。心配事も払うべき税金も多い人間が何かをやり遂げるには、自分で自分を安全地帯に突っ込んでやるしかない。

うまいTodoリストとは、気にすることを減らすものであるだろう。

やることの一覧を作ってしまって、この時間はこの中のどれか一個だけやると決められれば、他のやることのことは忘れていられる。

このやることが体力や時間に対して多すぎると、todoリストは恐怖リストになってしまう。一日で倒しきれなさそうなタスクは「見逃してやる」ことが必要になる。

やることをうまく区切って自分への指示をはっきりさせる

脳の性質的に、どんなことでも始めるほうが続けるより難しいという。逆に言うと、一度初めてしまえばあとは半分終わったようなものだ。人間は実はわりと指示がはっきりしていた方が進めやすい。自分への指示もはっきりさせるとやりやすい。

ここで大事なのが、細分化するというより、具体的にしていくことで、気が進まない書類を提出するにも、書類を出すって書くんじゃなくて、書類を封筒から出す、ボールペンを出す、印鑑を用意する、レベルでやってけばどれだけ嫌でもできそうな気がしてくる。

区切ることが集中の邪魔になるのなら、それは多分区切るべきではなかった。

楽しみにしてたゲームやるのに今日は電源を入れることから始めるぞ!なんてやらない。ピアニストは多分ピアノを弾くことをTodoリストに入れない。時間を決めるかして、すでにピアノの前に座ってる。リストを作るにしても、例えばこの曲のこの部分の表現を完璧にする、などの達成目標として作るのであって、ピアノを弾くこと自体は入れなさそう。(もちろん初速を得るという目的で区切るのはアリだと思う。目標は具体的で達成可能なほどよい)

作ったリストをスケジュールにする

作ったリストをやり遂げるには直視できるうちにスケジュールと組み合わせるとよい。

例えば仕事は時間と場所を決めて出勤してもらうことから始めるだろう。とりあえず来てもらえばあとは嫌でも働いてくれるだろうという目論見だ。これの創作への応用として、何も進まないときに喫茶店にこもるみたいな技が知られている。

とりあえず今は○○の時間だと決めて、そのときはそれだけやってたら大丈夫なことにする。

私は作ったタスク一個一個に対して30分のかたまりいくつ分かを予想して、その後時計に配置している。

この時計は百均の時計とホワイトボードを組み合わせて作った。○が何かをする時間で×が休む(遊ぶ)時間だ。

この方法の何が良いかというと、時計を見るだけで今は何の時間なのかがわかる。

そんなの時間割への逆戻りじゃないかと言われそうだけど、自分で自分に約束したことを自分でやり遂げていくのは自己効力感が高まるので健康にいい。弱点は割り込みである。これはいまのところどうしようもない。

それでも見るの怖いよ!

私は毎日捨てて新しいのを作っているよ。

まとめ

  • todoリストは気にすることを頭から追い出すための技術なので、なるべく余計なことを考えずに済むように作ると強い。

  • 作ったタスクは時間に割り振るとよい

  • 困ったら捨てよう